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小泉信三 こいずみ しんぞう

美術人名辞典の解説

小泉信三

経済学者・教育者文筆家。東京生。慶大卒業と同時に教員に採用され、経済学部教授・塾長等を務め、「リカード研究」で経済学博士となる。戦後の東宮教育に参与、神聖天皇から人間天皇への転換に尽力した。コロンビア大学から名誉文学博士の学位を受ける。文化勲章受章東京都名誉都民。昭和41年(1966)歿、78才。

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デジタル大辞泉の解説

こいずみ‐しんぞう〔こいづみシンザウ〕【小泉信三】

[1888~1966]経済学者・教育家。東京の生まれ。慶応義塾の教授・塾長。マルキシズム批判の理論家として活躍。第二次大戦後、皇太子の教育参与。文化勲章受章。著「リカアドオ研究」「マルクス死後五十年」「海軍主計中尉小泉信吉」など。

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百科事典マイペディアの解説

小泉信三【こいずみしんぞう】

経済学者。東京出身。慶大卒後,1919年から母校の教授となり,1933年―1947年慶応義塾塾長兼慶大総長。戦後は東宮教育参与を務めた。古典派経済学を研究し,また《マルクス死後五十年》などでマルクス主義を批判。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小泉信三 こいずみ-しんぞう

1888-1966 大正-昭和時代の経済学者,教育者。
明治21年5月4日生まれ。小泉信吉の長男。英,独,仏に留学,大正5年帰国し母校慶大の教授。昭和8年塾長。イギリス古典派経済学研究とマルクス主義批判で知られ,戦後は皇太子明仁の教育と皇室の近代化につくした。34年文化勲章。昭和41年5月11日死去。78歳。東京出身。著作に「リカアドオ研究」など。
【格言など】スポーツが与える三つの宝―練習,フェアプレーの精神,友

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世界大百科事典 第2版の解説

こいずみしんぞう【小泉信三】

1888‐1966(明治21‐昭和41)
経済学者,社会思想家。金融界の要職を歴任し当時慶応義塾塾長だった小泉信吉(のぶきち)の長男として東京三田に生まれた。1910年慶大卒後,直ちに同大予科教授となり,12‐16年イギリス,ドイツに留学。帰国後慶大教授となり,経済原論,経済学史,社会問題を講ずる。13年刊の《ジェヲ゛ンス 経済学純理》は,近代経済学中の重要な体系的著作の初の完訳書として著名。20年刊の《社会問題研究》で社会思想家としての名声を確立し,23年刊《価値論と社会主義》等所収のマルクスの価値・価格論をめぐるマルクス経済学者との論争でも著名だが,経済学研究の本領はリカードを中とする古典派経済学にあり,34年刊の《リカアドオ研究》で経済学博士。

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大辞林 第三版の解説

こいずみしんぞう【小泉信三】

1888~1966) 経済学者。東京生まれ。母校慶大の教授・塾長を歴任。保守的リベラリズムの立場からマルクス主義を批判。著「社会思想研究」「マルクス死後五十年」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小泉信三
こいずみしんぞう

[生]1888.5.4. 東京
[没]1966.5.11. 東京
経済学者。慶應義塾塾長小泉信吉の長男として生まれ,慶應幼稚舎,普通部を経て,1910年慶應義塾政治科を卒業。 1912年ヨーロッパに留学し,ドイツではウェルナー・ゾンバルト,イギリスではアルフレッド・マーシャルに師事し,経済学,社会学を学ぶ。 1916年帰国後母校の教授となり,リカード研究や河上肇櫛田民蔵らとの価値論争を通じ反マルキシズムの理論家として知られるようになる。 1933年 45歳で慶應義塾塾長に就任,翌 1934年『リカアドオ研究』で経済学博士号を得る。第2次世界大戦後の 1947年塾長を辞任し,1949年以降東宮御教育常時参与となる。 1959年文化勲章受章。著書は『近世社会思想史大要』 (1926) ,『マルクス死後 50年』 (1933) ,『共産主義批判の常識』 (1949) など。死後『小泉信三全集』 (28巻,1968~72) が刊行された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小泉信三
こいずみしんぞう
(1888―1966)

経済学者、教育者。福沢諭吉に直接指導を受けた小泉信吉(のぶきち)(1849―1894、銀行家。慶応義塾の第2代塾長)の長男として明治21年5月4日東京・三田(みた)に生まれる。普通部から慶応義塾に学び、大学部では福田徳三の指導のもと、学問的感化を強く受け、マルクス主義批判の闘将として育っていった。1910年(明治43)大学部政治科を卒業、母校に残り、1912年(大正1)からヨーロッパに留学、主としてドイツおよびイギリスにおいて理論経済学および社会思想、とくにマルクス主義研究に専心した。1919年に帰国して義塾の教授となり、経済原論、経済学史、社会問題などの講義を担当した。学問的業績としては、まずイギリス古典学派の研究、とくにリカード研究があげられ、リカードの主著『経済学および課税の原理』を完訳(1928年刊)し、さらに『リカアドオ研究』を著している。また、日本における社会思想研究の先駆者として『社会問題研究』(1920)、『近世社会思想史大要』(1926)などを執筆するとともに、マルクス主義に対する容赦ない批判者として、河上肇(はじめ)、櫛田民蔵(くしだたみぞう)らと『資本論』の内容をめぐって活発な論戦を展開し、『価値論と社会主義』(1923)、『マルクス死後五十年』(1933)などを著している。
 1933年(昭和8)から1947年まで塾長の職にあり、その間、1943年には学士院会員となった。また、1949年(昭和24)以降東宮教育参与として、皇太子の教育および皇室の近代化に努めた。1959年文化勲章受章。昭和41年5月11日没。[飯田 鼎]
『『小泉信三全集』26巻・別巻1(1967~1972・文芸春秋)』

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世界大百科事典内の小泉信三の言及

【転化問題】より

…ヒルファディングはエンゲルスの歴史・論理説(論理的なものは歴史的なものから偶然的なものを捨象したものであるという解釈)に依拠して,価値は単純商品(資本主義以前の商品)に妥当する概念であり,生産価格は資本制的商品に妥当する概念であって,両者は質的に異なると反論した。この論争は戦間期の日本でも小泉信三と櫛田民蔵の間で再現され,櫛田は〈価値と生産価格の矛盾は事実の矛盾であって論理の矛盾ではない〉として小泉を反論したが,この反論は歴史・論理説そのものに難点があるために有効であったとはいえない。転化問題の正しい解決の方向に向かって新しい軌道を設定したのは,L.vonボルトキエビチである(1906‐07)。…

※「小泉信三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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