日本歴史地名大系 「小田幸村」の解説 小田幸村こだこうむら 広島県:三次市小田幸村[現在地名]三次市小田幸町高杉(たかすぎ)村の南で美波羅(みはら)川沿いに位置する本郷と、その東で志幸(しこう)村の飛郷幸利(こうり)の南に位置する飛郷下井田(しもいだ)に分れ、その間には大田幸(おおだこう)村が位置する。「芸藩通志」に「もと、小田郷に作る。広廿二町、袤廿八町、北は山林南は田畑なり、西川村側を通ず、飛郷一名下井田とよび村を去る廿町許、大田幸村を隔て東にあり、其地広十町、袤廿五町許、一水を通ず、正保の頃までは下井田村とて別村たりしが、いつの比よりか当村に属せり」と記す。飛郷下井田の地は大田幸に属する上井田とともに古くは井田とよばれたらしく、嘉元元年(一三〇三)にこの地を訪れた「とはずがたり」の著者後深草院二条は、「ゐたといふ所」に付近の領主である江田氏や和智氏の惣領家にあたる鎌倉の広沢与三入道が、宿舎を構えたことを記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by