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小野善右衛門 おの ぜんえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野善右衛門 おの-ぜんえもん

1826-1900 江戸後期-明治時代の商人。
文政9年4月生まれ。京都の豪商小野善につとめる。万延元年小野家の別家西村家をつぎ勘六と称し,明治4年小野善右衛門を名のる。維新後,為替方として新政府の資金調達に協力したが,政府の政策変更で7年破産。整理後,小野商会を設立。明治33年5月5日死去。75歳。本名は田和勻貞。幼名は長之助。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野善右衛門

江戸時代から明治初期において三井とならぶ豪商,小野家の上級番頭の通り名。屋号は井筒屋善右衛門。京都小野三家のひとつ又次郎家の初代包敬(1738~89)などが善右衛門を名乗ったが,3代目からは善右衛門名を用いず,以後善右衛門名は,小野三家の上級番頭の役職名のひとつとなり,小野三家の経営を担当した。善右衛門は別家から信用のあるものが選ばれ,任期は3~5年で,襲名するものは元方と呼ばれた。彦兵衛(1854年襲名),金兵衛(1860年襲名),篠五郎(1863年襲名)などが歴代の善右衛門であるが,最も有名なのは,幕末・明治維新期の西村勘六である。西村勘六は本姓田和で,天保7(1836)年小野善助家に奉公し,嘉永5(1852)年江戸店の主任となって店制改革を行い,安政6(1859)年盛岡藩から盛岡の小野家が追放処分を受けた際にはその善後策を立てるなど,小野家経営において主導的役割を果たした。万延1(1860)年小野家の別家西村家を継ぎ,小野善右衛門を襲名して,明治維新時には新政府の御用金・会計基立金の徴募に協力,奔走,商法司知事となって,政府が各地において勧奨した通商会社為替会社の設立にも寄与した。明治4(1871)年戸籍法成立に当たり,勘六自らは西村籍を去って西村姓を長女に譲り,役名の小野善右衛門名をもって新たに一家を興した。このことは勘六の専横として,本家小野善助をはじめ同族内で不興を買い,経営内部の不一致をもたらすなど,小野組の弱体化の一因となり,明治7年における小野組の破綻の遠因となったが,幕末・維新期における活躍は無視できない。小野組破綻後,清算事務にあたるとともに,小野商会を設立した。<参考文献>宮本又次『小野組の研究』全4巻

(宮本又郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の小野善右衛門の言及

【小野組】より

…その後も前橋製糸所をはじめ長野県各地,福島県二本松などに製糸場を経営し,また,釜石,院内,阿仁などをはじめ東北各地の鉱山経営にも着手した。生糸取引は古河市兵衛が,為替店は小野善右衛門(西村勘六)が統轄していたが,1872年には三井小野組合銀行を組織した(1873年7月第一国立銀行となる)。小野組は維新以降,多方面で活躍したが,政府の為替方に対する方針はしだいに過酷となり,74年2月〈府県為替方設置手続および為替規則〉を改正し,担保は預り金の3分の1を預り金相当の金額とし,さらに10月には,追加担保は12月15日までに提出すべく厳達した。…

※「小野善右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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