小野川関跡(読み)おのがわのせきあと

日本歴史地名大系 「小野川関跡」の解説

小野川関跡
おのがわのせきあと

[現在地名]阿智村大字智里 中平

阿知あち川の支流大沢おおさわ川の左岸の傾斜地に位置する。戦国時代弘治年間(一五五五―五八)に、網掛あみかけ峠から神坂みさか峠を越えて木曾に通ずる要路を押えるため、武田信玄が初めて設置したといわれる。その頃は、下条氏の家臣昼神ひるがみ村在住の原豊後が守衛した。武田氏滅亡後は飯田城主がこれを管し、行旅を改めるほか、榑木上納、阿知川流材の改め番所といわれるようになったと伝えられる。元和年中(一六一五―二四)より阿島あじまの知久氏が守衛した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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