朝日日本歴史人物事典 「尭恵」の解説
尭恵
生年:永享2(1430)
室町時代の歌人。藤の坊と号す。尭孝の高弟。天台僧で,加賀白山や青蓮院と関係が深く,東山道,北陸道の諸国を廻り『善光寺紀行』『北国紀行』を著している。明応1(1492)年には越後に在って代表作『古今抄延五記』を著述。晩年は京都に住し,二条派常光院流の後継者として重んぜられた。鳥居小路経厚,猪苗代兼載はその弟子。一条兼良,冷泉政為,白川忠富,細川成之,栄雅(飛鳥井雅親)ら多くの歌人と親しく,明応3年には昇殿を許されて勝仁親王,次いで後土御門天皇に『古今集』『愚問賢注』などの歌書を講じている。声点を重視する学風で二条派の正統を誇ったが,その門流は徐々に衰え,宗祇流に圧倒された。家集に『下葉和歌集』がある。
(田仲洋己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報