日本大百科全書(ニッポニカ) 「東国紀行」の意味・わかりやすい解説
東国紀行
とうごくきこう
室町時代末期の紀行。宗牧(そうぼく)作。1545年(天文14)成る。1544年9月都を出て、石山寺、桑名(くわな)、熱田(あつた)、岡崎などを経て駿河(するが)府中(静岡市)で越年、3月初旬に江戸に着き浅草の観音(かんのん)に詣(もう)でた記事で終わっている。宗牧はこのあと白河(しらかわ)関に至り、45年9月に下野(しもつけ)佐野(栃木県佐野市)で没している。諸所で連歌(れんが)を興行し、発句(ほっく)を多く記しとめているが、宮中よりの女房奉書を織田信秀(おだのぶひで)に伝えるなど風流一辺倒の旅ではなかったことをうかがわせる。また、ヤマトタケルが唐の楊貴妃(ようきひ)に生まれ変わって国を乱し、日本攻略の野望を未然に防いだという特異な伝承を熱田神宮の条で記しとめている点も注目される。『群書類従 紀行』所収。
[奥田 勲]