尾台榕堂(読み)おだいようどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾台榕堂」の意味・わかりやすい解説

尾台榕堂
おだいようどう
(1799―1870)

江戸後期の漢方医。名は元逸、字(あざな)は士超、榕堂は号。越後(えちご)国中条(新潟県十日町市中条)に、医師小杉三貞の四男として生まれる。ゆえあって、信州小田井出身で江戸日本橋の医師であり師でもあった尾台浅嶽(1771―1834)の家督を継ぎ、尾台良作と名のった。「都下ニ医ヲ善クスルヲ以(もっ)テ名ヲアラハス者二人有リ、一ハ尾台榕堂トイヒ、一ハ浅田識此(しきし)(宗伯)トイフ」といわれたほどの名医であった。著書に『類聚方(るいじゅうほう)広義』『方伎雑誌』ほか多数がある。墓所は東京都台東(たいとう)区谷中(やなか)の観音寺

[藤平 健]

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朝日日本歴史人物事典 「尾台榕堂」の解説

尾台榕堂

没年:明治3.11.29(1871.1.19)
生年:寛政11(1799)
幕末明治期の漢方医。本姓は小杉。医家の4男として越後国魚沼郡中条村(十日町市中条)に生まれる。名は元逸,字は士超,通称良作,別号敲雲。16歳で江戸に出て尾台浅岳(岑少翁の弟子)の門に入り,古方医学を学ぶ。また儒学亀田綾瀬師事。帰郷するが浅岳の没後再び江戸に出,請われて尾台姓を継いだ。吉益東洞を信奉してその著書『類聚方』などを実用の立場から深く研究した。名医の評判が高く,幕末の江戸にあって浅田宗伯と名声を二分した。著書『類聚方広義』は今日の漢方界においても高い評価を得ている。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「尾台榕堂」の解説

尾台榕堂 おだい-ようどう

1799-1871* 幕末の医師。
寛政11年生まれ。江戸にでて尾台浅岳(せんがく)にまなび,浅岳の没後,跡をついで尾台姓を名のる。吉益東洞(よします-とうどう)の「類聚方(るいじゅうほう)」を研究し,「類聚方広義」をあらわした。明治3年11月29日死去。72歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本姓は小杉。名は元逸。字(あざな)は士超。通称は良作。別号に敲雲(こううん)。

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