日本大百科全書(ニッポニカ) 「尾平鉱山」の意味・わかりやすい解説
尾平鉱山
おびらこうざん
大分県豊後大野市(ぶんごおおのし)緒方(おがた)町地区にあった鉱山。祖母山麓(そぼさんろく)、標高約700メートルにあり、1547年(天文16)の発見といわれ、岡藩では1647年(正保4)錫(すず)山を開き、寛保(かんぽう)年間(1741~1744)にもっともにぎわった。『豊後国志(ぶんごこくし)』には「往時多く銀銅錫鉛を産す。廃坑処々(しょしょ)に之(これ)有り。今僅(わず)かに錫を出す。最も精良也(なり)」とある。1903年(明治36)蔵内(くらうち)鉱業、1935年(昭和10)三菱(みつびし)鉱業により開発。1944年錫鉱業整備令で休山。朝鮮戦争時の1950年(昭和25)再開したが、1954年休山した。現在、休山に伴う閉校の小学校跡に祖母山麓尾平青少年旅行村があり、祖母山登山、自然探勝の基地となっている。
[兼子俊一]