尾藤村(読み)びとうむら

日本歴史地名大系 「尾藤村」の解説

尾藤村
びとうむら

[現在地名]大江町字尾藤

由良川右岸の河東街道から東方に入り込む浸食谷に位置し、尾藤口と尾藤奥に分れる。東は南山みなみやま村、南は常津つねづ村、北は千原せんばら村に接する。尾頭とも記す(旧語集)

慶長検地郷村帳に高四〇〇・四二石「尾藤村」とみえる。土目録によれば四〇七・八六石のうち、田方は二八七・八二一石、畑方は一二〇・〇三九石、運上のうちに撫網運上銀二匁、渋柿代銀七匁があった。延享三年(一七四六)の郡中高究付覚によれば農家戸数八七。田辺藩領。

対岸蓼原たでわら村との間に渡舟があった。尾藤小川尻おがわじりの舟夫小屋に年中寝泊りする舟夫を雇い、給金は尾藤・南山東部一三〇戸および常津村半分(常津村は在田渡船場の半分を負担するため)が盆と正月各戸白米一升から二升支出してあてた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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