中国、甘粛(かんしゅく/カンスー)省北部のエチナ川下流域で発見された漢代の文書。長さ23センチメートル(漢代の1尺)ほどの木の札(ふだ)(牘(とく)、木簡(もっかん))に墨書(ぼくしょ)されている。この地域は、漢代の張掖(ちょうえき)郡居延県にあたり、前漢武帝期から後漢(ごかん)初期における対匈奴(きょうど)戦の前線基地であったため、文書の内容は、多くは基地の経営に関する公文書類である。居延簡には2種類ある。第一は、1930年、スウェン・ヘディンを団長とする西北科学考査団の支隊が採集した約1万点。現物は日中戦争の混乱により所在不明となり、写真版のみが残る。最近、出土地点を記録した当時のノートが北京(ペキン)で発見され、再整理が可能となった。第二は、1972~76年に甘粛省居延考古隊によって改めて発掘調査された際に得られた約2万点。量・質ともに第一のものを上回り、研究が急がれている。
[尾形 勇]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ところが20世紀に入って,膨大な古文書群があいついで発見された。すなわち(1)殷代で占いに使われた甲骨文,(2)漢・晋の木簡,とくに西北辺境の居延から出土した居延漢簡,(3)4~11世紀初の敦煌文書および西域文書,なかでも6~8世紀のトゥルファン文書,(4)清朝宮廷に保管されていた公文書類,いわゆる明清檔案(とうあん)である。いずれも発見されるごとに学界の注目を集め,多数の学者が研究を行い,甲骨学,簡牘(かんどく)学,敦煌学という名称も生まれた。…
…中国木簡の出土は1901年にA.スタインがタクラマカン砂漠中のニヤ遺跡で晋簡を発掘したのに始まるが,彼はそれ以前にカローシュティー木簡を発見している(カローシュティー文書)。20世紀前半には西欧人の中央アジア探検によって中国西辺のフィールドにおいて発掘され,スタインの敦煌漢簡,楼蘭晋簡,S.A.ヘディンの楼蘭晋簡,居延漢簡などが有名で,なかでも内モンゴルのエチナ発見の居延漢簡は1万点をこえ,木簡研究の中心課題である。20世紀後半に入ると,中国内部の古墓から副葬されていた木簡が出土するようになり,戦国時代の楚の領域から楚簡,湖北省雲夢睡虎地秦墓から秦簡,甘粛,青海,湖北,山東,河北などの各省から漢簡が出土している。…
※「居延漢簡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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