ヘディン(読み)へでぃん(英語表記)Sven Anders Hedin

デジタル大辞泉 「ヘディン」の意味・読み・例文・類語

ヘディン(Sven Anders Hedin)

[1865~1952]スウェーデン地理学者探検家。1893年以来、数回にわたって中央アジアチベットを探検。楼蘭ろうらん遺跡やトランスヒマラヤ山脈を発見し、ロブノールの周期移動を確認した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ヘディン」の意味・読み・例文・類語

ヘディン

  1. ( Sven Anders Hedin スウェン=アンダース━ ) スウェーデンの地理学者、探検家。一八九三年以来、数回中央アジア・チベットを探検し、楼蘭(ろうらん)遺跡、トランス‐ヒマラヤ山脈などを発見。ロブノールの周期移動を確認した。(一八六五‐一九五二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘディン」の意味・わかりやすい解説

ヘディン
へでぃん
Sven Anders Hedin
(1865―1952)

スウェーデンの地理学者、探検家。ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学卒業後、ベルリン大学でリヒトホーフェンに学んだ。第1回(1893~1897)、第2回(1899~1902)の中央アジア旅行によってパミール高原、タクリマカン(タクラマカン)砂漠、チベット高原、青海省を調査、チベット高原については1906~1908年にも探検を行い、不明の部分の多かったこれら諸地域の地理の解明に寄与するところが少なくなかった。なかでも、ロプノールが時代によって位置を異にすること、ヒマラヤ山脈の北方にほぼこれに並行して東西に走るトランス・ヒマラヤ山脈とよぶべき山脈の存在すること、インダス川河源の発見は著しい。さらにホータン付近のダンダン・ウィリックの廃墟(はいきょ)(1896年1月)の調査、楼蘭(ろうらん)の都城址(とじょうし)の発見発掘(1900年3月、1901年3月)は、この地域に輝かしい古代文明の遺跡のあることを明らかにして、後のスタインをはじめとする探検隊の調査の先駆けをなしたものである。1927~1935年、第3回の中央アジア探検を行い、スウェーデン、デンマークドイツ中華民国との学者が共同して、タクラマカン、ゴビ両砂漠を中心とする地域の自然、人文、考古の諸方面に関する大規模な調査を行った。これをSino-Swedish Expeditionあるいは西北科学考査団という。その報告書は55冊に上る。これを機会に、それまでの調査の成果を集大成した中央アジア地図の編集刊行を計画したが、第二次世界大戦のため未完に終わった。

[榎 一雄]

『深田久弥・榎一雄・長澤和俊監修『ヘディン探検紀行全集』15巻・別巻2(1978~1980・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「ヘディン」の意味・わかりやすい解説

ヘディン

スウェーデンの地理学者,中央アジア探検家。地理学者リヒトホーフェンに学び,またプルジェワリスキーの影響をうけた。1893年―1897年,1899年―1902年,1906年―1908年,1927年―1935年の4回にわたって,東西両トルキスタン,チベットなどを探検し,その間に楼蘭(ろうらん)の遺跡,トランス・ヒマラヤ山脈を発見し,ロブ・ノールの周期的移動を明らかにするなど大きな業績を残した。科学的,啓蒙的な多くの著書がある。
→関連項目タクラマカン砂漠橘瑞超タリム盆地中央アジアニエンチェン・タンラ[山脈]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ヘディン」の意味・わかりやすい解説

ヘディン
Sven Anders Hedin
生没年:1865-1952

スウェーデンの地理学者,中央アジア探検家。ストックホルム生れ。幼時から秘境探検にあこがれ,1885年,20歳でイラン,イラクを踏査した。ウプサラ大学からベルリン大学に進み,リヒトホーフェンの影響で中央アジア探検を目ざした。93-97年の第1回探検では,パミールの高峰ムズターグ・アタを試登し,タリム(塔里木)盆地を縦横に探検し,幾多の古代都市遺跡を発見して,西域考古学ブームの端を開いた。1899-1902年の第2回探検では楼蘭遺跡を発掘して多数の古文書を発見し,またチベット各地を探検した。1906-08年はチベット探検に主力をおき,トランス・ヒマラヤ山脈を発見した。1927-35年には中国側と西北科学考査団Sino-Swedish Expeditionを編成し,最初の総合科学的探検を行い,包頭~ウルムチ(烏魯木斉)間の自動車道路を開発し,ロブ・ノール湖の周期的移動を確認した。第2次大戦中はドイツとの外交折衝に活躍したが,そのため晩年は不遇で,1952年病没した。学術報告のほか中央アジア探検などの旅行記を著す。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘディン」の意味・わかりやすい解説

ヘディン
Hedin, Sven Anders

[生]1865.2.19. ストックホルム
[没]1952.11.26. ストックホルム
スウェーデンの地理学者,探検家。ウプサラ,ベルリン,ハレの各大学に学ぶ。 1885~86年ペルシア,メソポタミアに旅行。 90年オスカール2世がペルシアに派遣した使節に随行してトルキスタン,91年カシュガルを旅行。 93~98年ウラル付近のオーレンブルクからパミールとチベット高原を越え,北京までアジア大陸を横断。 99~1902年タリム盆地,インダス川,ブラマプトラ川の水源を探検,その間,古代都市楼蘭の遺跡を発見した。 27年スウェーデン,ドイツ,中国の学者とともに大規模な地理,考古,民族,生物,人類などについて探検調査を行なった。主著"Journey through Persia and Mesopotamia and the Caucasus" (1887) ,"Journey through Khorasan and Turkestan" (92~93) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ヘディン」の解説

ヘディン
Sven Hedin

1865~1952

スウェーデンの地理学者,探検家。1885年以来カフカースやペルシアに旅行し,またリヒトホーフェンに師事した。1890年以後数回にわたって中央アジア,チベット,モンゴリアを探検し,ロプ・ノールの楼蘭(ろうらん)遺跡,トランスヒマラヤ山脈の発見など,その貢献は大きい。多数の著書・報告書,地図,スケッチ集がある。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ヘディン」の解説

ヘディン
Sven Hedin

1865〜1952
スウェーデンの地理学者・探検家
1885年以来,イラン・メソポタミア・サマルカンド・トルキスタン・チベット・新疆 (しんきよう) (シンチヤン) などに数回の大探検旅行を行った。ロプ−ノール(湖)の楼蘭 (ろうらん) 遺跡,トランスヒマラヤ山脈の発見は有名。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のヘディンの言及

【楼蘭】より

… 4世紀末にこの一帯を通過した法顕の記録するところによれば,当時クロライナには小乗仏教を奉ずる国王と4000人の仏僧がいたことが知られ,この僧の数からしても,かなりの都市に成長していたことが推定される。また20世紀の初頭,A.スタイン,S.ヘディンらがこの鄯善王国領内の砂に埋もれた諸遺跡(ニヤ,エンデレ,クロライナ)から発見した782点にのぼる〈カローシュティー文書〉によって,3~4世紀の鄯善王国では,公用語として,西北インドの俗語であるプラークリット語が使用され,クロライナに居住した〈大王,王中の王,……〉を中心にかなり強力な中央集権的な政治体制がとられていたことが知られる。プラークリット語の使用は,当時この地域に,かなり多数のインド系の住民が居住していたことを示唆するものである。…

※「ヘディン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android