日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘディン」の意味・わかりやすい解説
ヘディン
へでぃん
Sven Anders Hedin
(1865―1952)
スウェーデンの地理学者、探検家。ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学卒業後、ベルリン大学でリヒトホーフェンに学んだ。第1回(1893~1897)、第2回(1899~1902)の中央アジア旅行によってパミール高原、タクリマカン(タクラマカン)砂漠、チベット高原、青海省を調査、チベット高原については1906~1908年にも探検を行い、不明の部分の多かったこれら諸地域の地理の解明に寄与するところが少なくなかった。なかでも、ロプノールが時代によって位置を異にすること、ヒマラヤ山脈の北方にほぼこれに並行して東西に走るトランス・ヒマラヤ山脈とよぶべき山脈の存在すること、インダス川河源の発見は著しい。さらにホータン付近のダンダン・ウィリックの廃墟(はいきょ)(1896年1月)の調査、楼蘭(ろうらん)の都城址(とじょうし)の発見発掘(1900年3月、1901年3月)は、この地域に輝かしい古代文明の遺跡のあることを明らかにして、後のスタインをはじめとする探検隊の調査の先駆けをなしたものである。1927~1935年、第3回の中央アジア探検を行い、スウェーデン、デンマーク、ドイツと中華民国との学者が共同して、タクラマカン、ゴビ両砂漠を中心とする地域の自然、人文、考古の諸方面に関する大規模な調査を行った。これをSino-Swedish Expeditionあるいは西北科学考査団という。その報告書は55冊に上る。これを機会に、それまでの調査の成果を集大成した中央アジア地図の編集刊行を計画したが、第二次世界大戦のため未完に終わった。
[榎 一雄]
『深田久弥・榎一雄・長澤和俊監修『ヘディン探検紀行全集』15巻・別巻2(1978~1980・白水社)』