改訂新版 世界大百科事典 「屈浦里遺跡」の意味・わかりやすい解説
屈浦里遺跡 (くっぽりいせき)
Kulp`ori yujǒk
朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道雄基郡屈浦里西浦項洞にあり,朝鮮半島北東部における旧石器時代から櫛目文土器(新石器)時代,無文土器(青銅器)時代にわたる代表的集落遺跡。豆満江の河口に近く,造山湾に面した海岸部で,丘陵の西側山麓に立地する。1960年から64年にかけて,数次にわたり発掘調査された。旧石器時代では,下層の屈浦文化I期層から,石器製作所跡と推定される石材が配置された施設とともに,石英・巨晶花コウ岩を使ったチョッパー,刃器などが見つかった。上層の屈浦文化II期層からは,大理石・角ケツ岩で作ったチョッパー,搔器などが検出された。櫛目文土器時代では,21棟の竪穴式住居跡,無文土器時代では,9棟の竪穴式住居跡と2基の土壙墓が発見され,それぞれ土器,石器,骨角器などを多数検出した。
執筆者:西谷 正
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