日本歴史地名大系 「屋宜村」の解説
屋宜村
やーじむら
絵図郷村帳には八木村とある。琉球国高究帳にも八木村とあり、高頭一〇五石余、うち田五九石余・畠四六石余。村名は八本の松があったことに由来する。「琉球国由来記」「琉球国旧記」に屋宜村とある。脇地頭は万暦年間(一五七三―一六一九)に東姓(津波古家)三世東宗寿屋宜親方政長の就任が確認できるのみである(東姓津波古家家譜)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
絵図郷村帳には八木村とある。琉球国高究帳にも八木村とあり、高頭一〇五石余、うち田五九石余・畠四六石余。村名は八本の松があったことに由来する。「琉球国由来記」「琉球国旧記」に屋宜村とある。脇地頭は万暦年間(一五七三―一六一九)に東姓(津波古家)三世東宗寿屋宜親方政長の就任が確認できるのみである(東姓津波古家家譜)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...