屋宜村(読み)やーじむら

日本歴史地名大系 「屋宜村」の解説

屋宜村
やーじむら

[現在地名]中城屋宜やぎ登又のぼりまた

添石しーし村の南西にあり、東は中城なかぐすく湾に面する。「おもろさうし」巻二の一九に「一 やきからのほる(屋宜から上る)/したたりやよろい(直垂と鎧)/たるかきちへ にせる(誰が着て似せよう)/あちおそいてたす(按司襲い日子〔王〕こそ)/めしよわちへ にせれ(御召になって似せよ)/又 ひかからのほる(比嘉から上る)」とある。中城なかぐしくの屋宜と比嘉ひじやから献上された鎧直垂国王にこそ似つかわしいと謡っている。

絵図郷村帳には八木村とある。琉球国高究帳にも八木村とあり、高頭一〇五石余、うち田五九石余・畠四六石余。村名は八本の松があったことに由来する。「琉球国由来記」「琉球国旧記」に屋宜村とある。脇地頭は万暦年間(一五七三―一六一九)に東姓(津波古家)三世東宗寿屋宜親方政長の就任が確認できるのみである(東姓津波古家家譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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