日本歴史地名大系 「八木村」の解説
八木村
やぎむら
当村の開発は古く、
八木村
やぎむら
「大乗院雑事記」には「矢木座」がみられるが、同座を矢木中買座とも駄賃座ともいい、文明元年一二月二六日条には「矢木中買衆与符坂本座衆相論事在之、自矢木座荷共押留之、応永十二年文在之間、十市・楢原・箸尾方ニ仰遣之、矢木座衆彼面々披官故也」とあり、矢木座は興福寺大乗院の座であった。
八木村
やぎむら
現八木町の最南端に位置し、東は
少なくとも鎌倉時代以前には大堰川が当村の北半部をほぼ西から東に貫流していたと考えられる。つまり現在の人家密集地域は当時河床かその近辺であったわけで、八木村の中心地域は現在社寺・墓地などが並ぶ西側山麓部、現在
八木村
やぎむら
八木村
やぎむら
八木村
やぎむら
- 千葉県:銚子市
- 八木村
八木村
やつぎむら
八木村
やぎむら
- 滋賀県:近江八幡市
- 八木村
八木村
はちぼくむら
八木村
やぎむら
八木村
やぎむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報