日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎧直垂」の意味・わかりやすい解説
鎧直垂
よろいひたたれ
主として中世の大鎧(おおよろい)の下に着る衣服として、正式には、小袖(そで)・大口袴(ばかま)の上に用いられた直垂である。基本的には、垂領(たりくび)の平常の衣服である直垂の袖をやや狭く仕立て、袖口と裾(すそ)口に括(くく)り緒を入れたものである。初期に鎧下として用いられた水干にかわって、直垂がもっぱら軍陣用として用いられた鎌倉時代の所産であろう。すでに『蒙古(もうこ)襲来絵詞(えことば)』には、袖細などの特徴をもつ軍陣の直垂が描かれ、『平家物語』などにもみえる。南北朝時代以降『了俊(りょうしゅん)大草子』『随兵日記』『体源抄』などに鎧直垂の語はみえるが、また一般には単に直垂とも称されたのである。上下同色の場合は上下(かみしも)ともいう。
機能を主としたものではあるが、また華麗さをも兼ねて、しだいに趣好を凝らしていった。すなわち、赤地錦(にしき)、紺地錦、蜀江(しょっこう)錦、綾(あや)、唐綾、長絹(ちょうけん)、練緯(ねりぬき)、縫物、目結(めゆい)、村濃(むらご)の類、あるいは片身替わりの意匠まであり、1334年(建武1)には、蜀江錦、金襴(きんらん)、紅染の類が禁制されるに至っている。このように鎧直垂は、中世の武人を大鎧とともに飾った華麗な武家専用の服制でもあった。現在、毛利(もうり)家伝来の、伝足利(あしかが)将軍家所用の桐(きり)紋の赤地の大和(やまと)錦の鎧直垂上下は、袖細で、四つの緒の括(くく)り、菊綴(きくとじ)しげく付け、腰紐(こしひも)は白練絹(しろねりぎぬ)で、その形状の典型を伝える資料である。
[山岸素夫]