山下友枝(読み)ヤマシタ トモエ

20世紀日本人名事典 「山下友枝」の解説

山下 友枝
ヤマシタ トモエ

昭和期の部落解放運動家 部落解放同盟中央委員;津島町議。



生年
明治34(1901)年9月1日

没年
昭和54(1979)年4月12日

出生地
愛媛県宇和島

旧姓(旧名)
石口

学歴〔年〕
岩松尋常高等小学校高等科中退

経歴
母の実家である山下家の養女となり、大正9年には佐々一を婿養子に迎える。夫婦で部落解放運動に携わり、夫の結成した善隣運動促進協会の機関誌「善隣」などに論文を執筆した。昭和6年郷里愛媛県岩松町で差別事件が起こると糾弾運動を展開し、10年には全国水平社岩松支部を設立。戦後も全国部落解放委員会中央委員や解放同盟中央委員・同和問題協議会愛媛連合会委員長などを歴任し、差別と戦い続けた。また、22年には岩松町議に当選。以来、のち同町が合併して津島町となったのをはさんで連続8期24年間に渡って在職した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下友枝」の解説

山下友枝 やました-ともえ

1901-1979 昭和時代の部落解放運動家。
明治34年9月1日生まれ。母の実家山下家の養女となる。大正9年佐々一を婿にむかえ,夫婦ともに部落解放運動をすすめる。戦後は郷里愛媛県の岩松町(のち合併して津島町)町会議員を連続8期,24年間つとめた。部落解放同盟愛媛県連委員長,解放同盟中央委員。昭和54年4月12日死去。77歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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