日本歴史地名大系 「山久保村」の解説 山久保村やまくぼむら 栃木県:日光市山久保村[現在地名]日光市山久保和泉(いずみ)村の南にあり、北境を行(なめ)川が南東流、同川支流荒(あら)川が村の中央を東流し、東端で行川と合流する。周囲を山に囲まれた山村で、行川流域に沼内(ぬまうち)、荒川流域に中野(なかの)・木曾(きそ)・柏木(かしわぎ)・白沢(しろさわ)・松(まつ)ノ木内(きうち)の小集落がある。山窪村とも記される。元和六年(一六二〇)将軍徳川秀忠により東照大権現社へ寄進された村々のうちに「山窪村」一九〇石余がみえる(「東照宮領目録」日光山御宮方書物之写)。慶安郷帳では畑高一八五石。元禄一四年(一七〇一)の日光領目録では二五九石余。享保(一七一六―三六)頃から日光地方で始められた朝鮮種人参栽培は、南隣の小来川(おころがわ)村とともに当村でも盛んに行われた。 山久保村やまくぼむら 大分県:大野郡千歳村山久保村[現在地名]千歳村下山(しもやま) 山久保漆生(うるしお)村の南、八(や)山(三一二メートル)の北東麓にある。南は大木(おおぎ)村。近世後期に漆生村から分れたと推定され(千歳村誌)、「豊後国志」に山久保の村名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報