20世紀日本人名事典 「山口辰弥」の解説 山口 辰弥ヤマグチ タツヤ 明治〜昭和期の技術者 海軍造船総監。 生年安政3年11月20日(1856年) 没年昭和2(1927)年4月9日 出生地江戸 学位〔年〕工学博士〔明治32年〕 経歴幕臣・山口勝直の長男として江戸に生まれる。明治5年海軍省に出仕、9年政府の命でフランスに留学し、パリ海軍造船学校で造船技術を学ぶ。この間、19年海軍省顧問として来日の造船家ルイ・エミール・ベルタンの世話になる。13年帰国し、横須賀造船所で活躍。19年神戸小野浜造船所初代所長となり水雷艇を建造。のち横須賀に戻り造船部長、造船廠長を経て、33年造船総監。退官後は浦賀船渠社長に就任し、大島製鋼所顧問を兼務、民間造船業界の振興に尽力した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山口辰弥」の解説 山口辰弥 やまぐち-たつや 1856-1927 明治-大正時代の造船技術者。安政3年11月20日生まれ。海軍にはいりフランスに留学。神戸小野浜造船所初代所長となり,水雷艇を建造。明治33年海軍造船総監。退官後は浦賀船渠(ドツク)社長となった。昭和2年4月9日死去。72歳。江戸出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by