山名文夫(読み)ヤマナ アヤオ

20世紀日本人名事典 「山名文夫」の解説

山名 文夫
ヤマナ アヤオ

昭和期のグラフィックデザイナー,イラストレーター 資生堂顧問



生年
明治30(1897)年3月17日

没年
昭和55(1980)年1月14日

出生地
広島県広島市

出身地
和歌山県

学歴〔年〕
和歌山中(現・桐蔭高)〔大正5年〕卒

経歴
和歌山県で少年時代を送り、大正6年大阪に出て赤松麟作主宰の洋画研究所で油彩を学ぶ。ほぼ独学で商業デザインを勉強、雑誌「女性」などの挿絵を担当した。12年プラントン社に入社し、イラストレーターとしての活動を開始。資生堂入社の昭和4年以降は、広告でユニークな装飾画を発表。繊細な線で官能的、現代的な感覚の資生堂調を築いた。7年独立し、名取洋之助主宰の日本工房のスタッフも務めるが、11年資生堂に復職し、PR誌「花椿」の装丁などを担当。戦中は国策宣伝にも携わるが、戦後再び資生堂嘱託、顧問に。多摩造形芸術専門学校(現・多摩美術大学)教授もつとめ、日本デザイナー学院を開校。日本のグラフィックデザイナーの草分け著書に「体験的デザイン史」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山名文夫」の解説

山名文夫 やまな-あやお

1897-1980 昭和時代のグラフィックデザイナー。
明治30年3月17日生まれ。赤松麟作(りんさく)の洋画研究所にまなぶ。プラトン社などをへて昭和4年資生堂に入社。ポスター,パッケージ,PR誌などをとおして資生堂のイメージをつくりあげた。多摩美大教授,日本デザイナー学院初代学院長。昭和55年1月14日死去。82歳。広島県出身。和歌山中学卒。著作に「体験的デザイン史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山名文夫」の解説

山名 文夫 (やまな あやお)

生年月日:1897年3月17日
昭和時代のグラフィックデザイナー。資生堂顧問
1980年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山名文夫の言及

【ポスター】より

橋口五葉,杉浦非水(1876‐1965)などがアール・ヌーボー風のポスターを描き,グラフィック・デザインの新しい歴史を切り開く。1920年代に入ると村山知義,柳瀬正夢の構成主義的なポスターや山名文夫(あやお)(1897‐1980),河野鷹思(こうのたかし)(1906‐ )などのモダニズム系のポスターが目だつようになる。30年代に入ると,名取洋之助を中心として結成された〈日本工房〉がドイツの写真やデザインをとり入れてグラフィック・デザインを試み,第2次大戦後の日本におけるモダン・デザインの一つの起点となった。…

※「山名文夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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