20世紀日本人名事典 「山名義鶴」の解説
山名 義鶴
ヤマナ ヨシツル
大正・昭和期の社会運動家
- 生年
- 明治24(1891)年9月17日
- 没年
- 昭和42(1967)年2月26日
- 出身地
- 宮城県仙台
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学独法科〔大正6年〕卒
- 経歴
- 旧但馬藩主の血をひく男爵の子。三高時代から学生運動に参加し、東京帝大時代にはロシア2月革命に感激。高野岩三郎の指導のもとで大正7年内務省嘱託として東京月島の労働者街に住み込み、内務省保健調査所の調査を行う。9年大原社会問題研究所嘱託となり、10年研究員となる。この間、大阪労働学校などで労働者教育に尽力する。12年総同盟議会対策特別委員会委員となり、無産党結党に参加。また13年の大阪市電争議などを指導。15年総同盟を脱退し、昭和2年日本労農党第1回大会以降、中央委員として政治部長などを歴任。のち全国大衆党中央委員。満州事変以後、国家社会主義者になり、7年日本国家社会党に参加、10年財団法人満州移住協会を創設。社会運動から離れ、15年男爵となる。20年貴族院議員となり、22年世界民主研究所を創設し、反共的な労働者教育活動を行ない、31年から日本労働者教育協会理事長を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報