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高野岩三郎 たかのいわさぶろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高野岩三郎
たかのいわさぶろう

[生]明治4(1871).9.2. 長崎
[没]1949.4.5. 東京
統計学者。 1895年帝国大学 (現東京大学) 法学部卒業,99年から3年間ミュンヘン大学で社会統計学を専攻。東京帝国大学法学部教授,のち経済学部教授。法学博士。日本における社会統計学の先駆者で『東京ニ於ケル二十職工家計調査』 (1916) ,『月島労働者家計調査』 (17) ,『東京及び附近小学校教員家計調査』 (17) などの業績がある。 1919年大原社会問題研究所所長として,『統計学古典選集』 13巻の編集,翻訳にあたった。社会運動家高野房太郎はその兄。 25年学士院会員,38年国際統計学協会正会員。第2次世界大戦後日本放送協会会長をつとめた。主著『統計学研究』 (15) ,『社会統計学史研究』 (25) 。

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百科事典マイペディアの解説

高野岩三郎【たかのいわさぶろう】

統計学者。長崎出身。高野房太郎の弟。東大で金井延(のぶる)に学び,1903年−1919年母校の教授,1919年大原社会問題研究所を創設し没年まで所長。社会統計学の先駆者で,日本最初の労働者家計調査を実施し,労働問題の研究に専念。
→関連項目社会政策学会森戸事件

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高野岩三郎 たかの-いわさぶろう

1871-1949 明治-昭和時代の社会統計学者。
明治4年9月2日生まれ。高野房太郎の弟。ドイツのミュンヘン大に留学,帰国後東京帝大教授となり統計学を担当。大正元年友愛会評議員,9年大原社会問題研究所長。戦後社会党の創立に参加した。昭和21-24年NHK会長。昭和24年4月5日死去。79歳。長崎県出身。帝国大学卒。著作に「統計学研究」「社会統計学史研究」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

高野岩三郎

没年:昭和24.4.5(1949)
生年:明治4.9.2(1871.10.15)
大正昭和期の経済学者,のち社会運動家。高野房太郎は兄。長崎県出身。東京帝大経済学部教授。ドイツに留学し,経済学をブレンターノに,統計学をマイヤーに学び,実証主義的な学風の確立に努める。「社会生活における合法則性(大数法則)」の発見を統計学の課題とする一方,各種統計データの整備にも尽力した。エンゲル係数で名高い統計学者エンゲルの蔵書・エンゲル文庫の購入に奔走したことは有名。国際労働会議での代表問題で東京帝大を辞任したあと,労働調査,労働者教育などにたずさわり,労働者の生活向上に貢献した。<著作>『統計学研究』『社会統計学史研究』<参考文献>大島清『高野岩三郎伝』,『東京大学百年史 部局史1』

(藤井隆至)

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世界大百科事典 第2版の解説

たかのいわさぶろう【高野岩三郎】

1871‐1949(明治4‐昭和24)
統計学者。高野房太郎の弟。長崎に生まれ,1895年東京帝大法科卒後ヨーロッパに留学,おもにG.マイヤーの指導を受け,帰国後東大教授となり統計学を担当した。1910年国勢調査準備委員となって日本最初のセンサス実施を指導し,また16年東京において日本で初めての職工家計調査を実施した。さらに,東大の法科大学から経済学部を独立(1919)させることに尽力した。19年東大辞職大原社会問題研究所の所長となり,社会問題の研究指導と学者養成に努め,無産政党運動,労働運動,労働者教育運動にも助言し援助した。

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大辞林 第三版の解説

たかのいわさぶろう【高野岩三郎】

1871~1949) 社会統計学者。長崎県生まれ。房太郎の弟。1919年(大正8) ILO 代表問題で東大を辞職、大原社会問題研究所長となる。戦後、社会党顧問。著「社会統計学史研究」ほか。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高野岩三郎
たかのいわさぶろう
(1871―1949)

統計学者。労働運動への助言・指導と労働者教育の分野でも先駆的役割を果たす。高野房太郎の弟。明治4年9月2日長崎県西彼杵(にしそのぎ)郡長崎区銀屋町(長崎市)に生まれる。東京帝国大学法科大学卒業後、大学院で労働問題と統計学を専攻し、在学中の1897年(明治30)桑田熊蔵、小野塚喜平次らと社会政策学会を創立、その中心的世話役となった。99年より4年間ドイツに留学、社会統計学および経済学を学んで帰国し、東大の教授となって同大学で初めて設けられた統計学の講座を担当、社会統計学の研究と普及に努めた。1910年(明治43)国勢調査準備委員となり、日本最初のセンサス実施を指導し、また16年(大正5)わが国最初の試みとして「二十職工家計調査」を実施した。彼はまた東大法科大学より経済学部を独立させるため努力し、19年これを実現させた。この年、国際労働会議の代表に選任されたが、手続上の不備から労働組合の反対にあって断念、責任をとって東大を辞職した。これを機に大原社会問題研究所の所長となり、社会問題の研究調査や学者養成に尽力。また労働運動、無産政党運動の助言者となり、他方、大阪労働学校の経営委員長としてその運営に献身した。25年学士院会員、38年(昭和13)国際統計協会正会員となる。
 戦後、「日本共和国憲法私案要綱」を発表して天皇制廃止と共和国大統領制を主張、また安部磯雄(あべいそお)、賀川豊彦(とよひこ)らと連名で社会主義政党結成を呼びかけ、のち日本社会党の顧問となる。1946年(昭和21)より49年4月5日に没するまで日本放送協会会長として放送民主化に尽力した。統計学に関する代表的著作に『統計学研究』(1915)、『社会統計学史研究』(1925)などがあり、また監訳書に『統計学古典選集』11巻(1941~49)、ウェッブ夫妻著『産業民主制論』(1927)などがある。[大島 清]
『大島清著『高野岩三郎伝』(1968・岩波書店) ▽法政大学大原社会問題研究所編『大阪労働学校史』(1982・法政大学出版局) ▽多田吉三編『家計調査論集』(1992・青史社)』

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世界大百科事典内の高野岩三郎の言及

【大原社会問題研究所】より

…第1次大戦後米騒動勃発にみられる社会問題の深刻化のなかで,社会を科学的に調査研究するための機関として設立された。大原は初代所長高野岩三郎を信頼して,20年にわたって私財を投じつづけた。高野のもとに,櫛田民蔵,大内兵衛,森戸辰男,久留間鮫造,細川嘉六,笠信太郎らが所員となり,研究嘱託の長谷川如是閑ほか多くの研究者が参加し,日本の社会科学研究・社会調査に大きな貢献をした。…

※「高野岩三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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