山垣村(読み)やまがいむら

日本歴史地名大系 「山垣村」の解説

山垣村
やまがいむら

[現在地名]青垣町山垣

中央を遠阪とおざか川が流れ南は中佐治なかさじ村、東は梨木なしのき峠を越えて天田あまただん村字法用ほうよう(現京都府福知山市)。山陰道沿いを北から平地ならじ上地うえじ下地しもじ上地より遠阪川を越えて西はむかい。慶長三年(一五九八)織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高三六六石余・畠高一三八石余、柴山・林あり、日損・水損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領、元禄八年(一六九五)から上地・下地・向は同藩領、平地は旗本永見領となる(「丹波志」など)。国立史料館本元禄郷帳でも同藩・同領、「丹波志」も同じ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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