日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎直子」の意味・わかりやすい解説
山崎直子
やまざきなおこ
(1970― )
宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))に所属していた宇宙飛行士。千葉県松戸市生まれ。旧姓、角野(すみの)。1993年(平成5)、東京大学工学部航空学科卒業。1996年、同大学航空宇宙工学専攻修士課程修了。1996年4月より宇宙開発事業団(NASDA(ナスダ)。現、JAXA)に勤務し、日本実験棟プロジェクトチームにおいて日本実験棟「きぼう」の開発業務に従事して、故障解析および組立て・初期運用手順作成などを行った。1998年6月からは国際宇宙ステーション(ISS)生命科学実験施設(セントリフュージ)の開発に従事し、概念検討から基本設計を実施。1999年2月、NASDAよりISSに搭乗する日本人宇宙飛行士の候補者として、古川聡(ふるかわさとし)、星出彰彦(ほしであきひこ)とともに選抜された。1999年4月からNASDAが実施する日本人ISS搭乗宇宙飛行士の基礎訓練に参加し、2001年(平成13)9月、宇宙飛行士として認定される。同年から、ISS参加機関の国際協力のもとに実施されるISS搭乗宇宙飛行士のアドバンスト訓練に参加。同時にISSに取り付けられる「きぼう」およびセントリフュージなどの開発・運用にかかわる技術支援業務などを行った。2004年5月、ソユーズTMA宇宙船フライトエンジニア資格を取得。同年6月よりNASA(ナサ)(アメリカ航空宇宙局)ミッションスペシャリスト(搭乗運用技術者、MS)候補者訓練に参加し、2006年2月にMSとして認定される。2010年4月、スペースシャトル「ディスカバリー号」によるISS組立てを行うミッションのMSとして参加。物資移送作業全体の取りまとめや、ISSのロボットアームおよびスペースシャトルのロボットアームの操作などを担当した。ISS長期滞在クルーとして長期滞在中の野口聡一(のぐちそういち)とともに、日本人宇宙飛行士が初めて軌道上に2人同時滞在し、さまざまな共同作業を実施した。2010年12月より東京大学において航空宇宙工学に関する研究に従事。2011年8月、JAXAを退職。2012年7月、内閣府が設置する宇宙政策委員会委員に就任。2014年4月、女子美術大学芸術学部客員教授に就任。2018年2月、鳥取県宇宙部長に就任した。
[山本将史 2022年7月21日]
『山崎直子著『夢をつなぐ』(角川文庫)』