山崎釼二(読み)ヤマザキ ケンジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「山崎釼二」の解説

山崎 釼二
ヤマザキ ケンジ


肩書
衆院議員(第一控室),全農静岡県連執行委員長

生年月日
明治35年9月19日

出生地
静岡県駿東郡御厨町(現・御殿場市)

学歴
御殿場実業学校〔大正7年〕卒

経歴
渡満し満鉄に勤務するが、この頃社会主義に関心を抱き、間もなく帰国し、東京帝大聴講生などになる。大正13年政治研究会に入会し、15年沼津に転居、以後静岡県東部の農民労働運動のリーダーとして活動。労働農民党に参加、また昭和6年全農静岡県連合会執行委員長となり、労働・小作争議を指導。同年沼津市議、10年静岡県議、11年衆院議員となる。17年インドネシアに渡り司政官としてケニンゴウ州知事を務め、21年に帰国。社会党に入党し、26年沼津市議に当選するが、28年離党し、29年ブラジルに移住農園を経営した。

没年月日
昭和33年1月31日

家族
元妻=藤原 道子(社会党参院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「山崎釼二」の解説

山崎 釼二
ヤマザキ ケンジ

大正・昭和期の農民運動家,政治家 全農静岡県連執行委員長;衆院議員(第一控室)。



生年
明治35(1902)年9月19日

没年
昭和33(1958)年1月31日

出生地
静岡県駿東郡御厨町(現・御殿場市)

学歴〔年〕
御殿場実業学校〔大正7年〕卒

経歴
渡満し満鉄に勤務するが、この頃社会主義に関心を抱き、間もなく帰国し、東京帝大聴講生などになる。大正13年政治研究会に入会し、15年沼津に転居、以後静岡県東部の農民労働運動のリーダーとして活動。労働農民党に参加、また昭和6年全農静岡県連合会執行委員長となり、労働・小作争議を指導。同年沼津市議、10年静岡県議、11年衆院議員となる。17年インドネシアに渡り司政官としてケニンゴウ州知事を務め、21年に帰国。社会党に入党し、26年沼津市議に当選するが、28年離党し、29年ブラジルに移住、農園を経営した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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