山形仲芸(読み)ヤマガタ ナカキ

20世紀日本人名事典 「山形仲芸」の解説

山形 仲芸
ヤマガタ ナカキ

明治・大正期の医学者 東北帝大医科大学初代学長。



生年
安政4年11月15日(1857年)

没年
大正11(1922)年6月

出生地
越前国福井(福井県)

学歴〔年〕
東京大学医学部〔明治44年〕卒

経歴
明治5年大学南校に入学し英学を修めたのちドイツ学に転じ、ついで大学東校に移り、14年東大医学部を卒業、直ちに岡山県医学校教諭兼岡山県病院一等医、のち副院長となり外科を担当。21年学制改革により宮城医学校(仙台市)から昇格した第二高等中学校に転任し医学部長兼宮城県病院長を務める。30年ドイツ留学を命じられ、31年万国癩病会議員となりドイツ皇帝に謁見した。32年帰国、34年第二高等中学校医学部は仙台医学専門学校に改称し校長就任。45年東北帝大医学専門部主事、大正4年東北帝大医科大学が開設され、初代学長となる。この間、16年岡山県の風土病患者から吸虫を採取し、肝臓ジストマであることを確認した。大正7年退任し、神奈川県小田原市に移り住み晩年を過ごした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山形仲芸」の解説

山形仲芸 やまがた-なかき

1857-1922 明治-大正時代の医学者。
安政4年11月15日生まれ。岡山県医学校教諭兼岡山県病院副院長,仙台の第二高等中学校医学部長兼宮城県病院長をつとめる。ドイツ留学後,仙台医専校長をへて,大正4年東北帝大医科大学の初代学長となった。明治16年岡山県の風土病患者から吸虫を採取し,肝臓ジストマであることを確認した。大正11年6月死去。66歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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