医学の一分科。外科とは、手と働きという意味の2語からなるギリシア語、つまり「手で仕事をする」という意味のギリシア語を語源とするsurgeryの訳語で、手術によって病気を治す医術あるいは医学(外科学)の意である。したがって、外科の歴史といえば手術の歴史に重複するところが多い。そこで外科の沿革は手術の項目に譲り、ここでは主として外科学の変遷の概説と、現在細分化されている外科の各科について述べる。
[工藤達之]
近代外科、現代の外科学の発足は19世紀中葉以後になるが、それまでの外科はいわゆる経験医学の域を脱することができず、外傷や戦傷に対する姑息(こそく)的な治療しか行われなかった。担当者は僧侶(そうりょ)か医師と自称するいかがわしい連中であり、今日の目でみると、でたらめ極まる治療が横行していた。ルネサンス以後にはややギルド的な制度が生まれ、外科医は理髪師が兼業していた。このころ、ヨーロッパの所々に学校が開かれ始めた。かくして1543年ベサリウスによる人体解剖書『ファブリカ』の発行が契機となって解剖を学ぶことが広く行われるようになり、このことが外科を学んだことを意味するようになった。そこで、短い上衣を着ていた床屋外科医を短衣派、大学派は長衣を着ていたので長衣派とよんで区別し、この両者が対立したまま19世紀に入った。
近代外科の幕はアメリカの医師モートンのエーテル吸入麻酔法の発明(1844)によって開かれ、同じころウィーンではゼンメルワイスが、助産婦の手指をクロールカルキで消毒することにより産褥(さんじょく)熱の予防に成功した。続いてイギリスの医師リスターにより制腐・消毒の概念が導入されるに及び(1867)、今日の外科の基礎ができあがった。これによって勇気を得た医師たちは、より困難で複雑な手術に立ち向かうこととなる。手術手技の複雑化に伴い、止血が必要となる。出血する動脈を糸で結んで止血する方法は、フランスの医師パレの創意によって早く16世紀に始まった。この時期には、種々の優れた止血鉗子(かんし)の創案工夫によって多数の出血動静脈を手早く処理することが可能となり、近代外科の三本柱である麻酔・無菌法・止血法が完成した。こうした背景の下に腎臓(じんぞう)摘出、胃癌(がん)の摘除、甲状腺腫(せんしゅ)の摘出など、従来は未踏とされていた領域に次々とメスが加えられるようになる。
しかし、19世紀の新段階でも、医師は上衣を脱いでワイシャツをたくし上げ、手を洗うだけであった。今日みられるような完全に消毒された白衣・白帽・マスクに身を包んだ外科医の姿をみるには20世紀の初頭まで待たねばならない。看護婦の誕生もだいたいこのころで、手術場の専門助手として、またそのマネージャーとしての職務が確立するのも期を同じくしている。この時期に、外科の発展にとって重要なX線と血液型が、それぞれ1895年と1901年に発見された。X線検査の重要性についてはいうまでもないが、血液型の発見は輸血を安全なものとし、大量出血下の外科手術を可能とした意義は大きい。
医学全般の進歩は第二次世界大戦を境にして目覚ましい。すなわち、サルファ剤の開発を契機とする化学療法の発足と、これに引き続いて現れた抗生剤により、外科の大敵であった感染性疾患の激減がみられ、さらに今日まで次々と発見される新種の抗生剤のほか、ウイルスに対して有効なインターフェロンなどを駆使しつつ、外科は新しい進路を開拓して進んでいく。
[工藤達之]
外科の発達に医学の専門分化と専門医の訓練組織の果たした役割は大きい。ヨーロッパでは、産科は早くから独立しており、早く眼科と耳鼻科、さらに泌尿器科と婦人科が分科した。その後、骨と運動器の外科として整形外科が分科し、専門臓器別に肺外科、脳神経外科、心臓外科の分科をみている。日本では、第二次世界大戦の影響もあって分科独立が遅れていたが、1960年(昭和35)以後に外科の急速な発達がみられ、それぞれを専門とする医師が生まれている。このほか、補助的分科としての麻酔科の独立も特記すべきであろう。このような専門科の分科傾向は世界的なものであり、先進国といわれる諸国では多少の差はあっても専門医制度を採用している。これは、一定の修練期間を経たのち、試験によって資格を与え、身分を保護して医療レベルの向上を企図するものである。日本では現在のところ、外科領域では麻酔科と脳神経外科のみがそれに近い認定医制度を設けているだけである。以下、現在分科している外科各科とその担当領域を述べる。
[工藤達之]
腹部外科や外傷をはじめ、ひょうそなど四肢の化膿(かのう)性疾患、筋炎、肛門(こうもん)周囲の炎症や膿瘍(のうよう)などのいわゆる感染症のほか、頸部(けいぶ)リンパ腺炎や甲状腺腫などの頸部疾患、乳房や肛門の疾患などを対象としている。このうち、腹部外科には鼠径(そけい)ヘルニア、虫垂炎、腹膜炎、胆石症、胆道炎、胃潰瘍(かいよう)、十二指腸潰瘍などのほか、食道・胃・大腸および直腸の癌、脾臓(ひぞう)や膵臓(すいぞう)の疾患なども含まれ、消化器外科とよばれることもある。また外傷学は前述のように外科学の発端となった分野であるが、大きい戦争のとだえた現在でも、災害の増大と激甚化によって重要性が増し、その初期を担当する救急外科の医師の役割は大きい。なお、末梢(まっしょう)血管、大動脈、四肢の動脈や静脈など血管疾患も一般外科に含まれるが、これを専門とする血管外科も分科する傾向にある。そのほか内分泌外科や移植外科を標榜(ひょうぼう)するものもあり、特殊なものに小児外科がある。
[工藤達之]
古くは肺外科、ことに日本では肺結核外科に始まった。現在は肺腫瘍、肺膿瘍、重症気管支拡張症などが主で、少数の胸部疾患が含まれ、呼吸器外科ともよばれる。
[工藤達之]
心臓とそれにつながる大血管の先天性疾患がおもな対象で、血管外科とともに心臓血管外科あるいは循環器外科を標榜するものもある。
[工藤達之]
骨と四肢の外科で、骨折をはじめ関節疾患や手足などの先天性疾患などを取り扱う。
[工藤達之]
身体外表の形態異常、醜形、欠損や瘢痕(はんこん)などを対象とし、植皮術などによって形態的、機能的な修復努力をする。
[工藤達之]
日本では外科から離れて独自の発達をしたようにみえるが、腹部外科の一部である。腎・輸尿管・前立腺・膀胱(ぼうこう)の腫瘍炎症、結石などをおもな対象とする。近来、腎機能を失ったものについて、人工腎臓を用いて血液中の老廃物を透析して除去する方法が行われ、腎移植なども行われるようになった。
[工藤達之]
女性性器を対象とする外科で、産科とともに産婦人科を標榜するものもある。
[工藤達之]
目とその付属器(眼瞼(がんけん)や眼筋など)の疾患を対象とする外科で、小児眼科を標榜するものもある。
当然のことながら外科は、他領域の進歩発展に助けられて進歩を続ける。診断法と装置について特筆すべきものをあげると、まず新しいX線診断法の開発、すなわち、いわゆるCT装置とか核磁気共鳴法など、まったく新しい原理に基づく診断装置の実用化などがある。また装置の改良により、ファイバースコープなどは従来の範囲をはるかに超えて胆道の観察までを可能とし、手術の適応範囲の拡大と安全性の確立に役だっている。一方、レーザー・メスによる切断・焼灼(しょうしゃく)の開発などがあり、やはり外科治療の新しい領域を開きつつある。外科の将来はこのように治療対象の拡大と同時に厳しい適応の検討下に、安全性を確保しながら進められるべきものであろう。
[工藤達之]
『J・トールワルド著、塩月正雄訳『外科の夜明け』(講談社文庫)』
臨床医学の一部門。日本では,内部を診断・治療する内科に対し,外部に関係した処置を行う,すなわち〈外治〉という意味から外科という言葉を用いている。欧米で外科にあたる言葉(英語surgery,chirurgery,ドイツ語Chirurgie,フランス語chirurgie)はラテン語のchirurgiaに由来するが,このラテン語はcheiro(手)とergon(わざ)という二つのギリシア語の合成にもとづくもので〈手のわざ〉という意であり,これには〈外〉という意味はない。要するに外科とは手や手術的操作によって病気を処理する医学の一分野と定義される。当用漢字の〈医〉は本来の〈医〉の省略体であるが,この〈医〉という文字の下半分の〈酉〉は酒の意であり,上半分左側の〈医〉は箱に入れた矢を,右側の〈殳〉は槍を意味し,古代から薬物療法(酒)とともに外科的療法が行われていたことを示すものといえよう。
外科的療法は前18世紀のバビロニアのハンムラピ法典にすでに記載がある。古代エジプトにおいては,創傷・骨折などの外傷の治療や,去勢・包皮環状切開などの宗教的・刑罰的手術,腫瘍摘出などが行われていた。古代インドの造鼻術も古いものの一つである。しかし,この時代から中世を通じて医術は内科的なものが主体で,それを僧侶のみが行い,不潔,不浄な血液や膿汁にまみれがちな処置は治療師(床屋や湯屋)にまかされていたため,外科的治療の進歩は長い間阻害されていた。今日でも理髪店の店頭にある,赤・青・白の表飾については,赤は動脈,青は静脈とし,白はリンパあるいは包帯を意味するなど諸説があるが,いずれにせよ外科医と理髪師との関係を示しており,当時の外科医の社会的地位の名残をとどめている。現代でも内科医はドクターdoctor,外科医はミスターMr.という称号で区別して呼ばれている。
古代からの魔術的医術を科学的基礎をもった医療へ転換させたのは古代ギリシアのヒッポクラテスである。彼は病理学,生理学,診断学のみならず,外科に関連した分野においても著しい業績をあげた。中世をへてルネサンスに入ると,レオナルド・ダ・ビンチ,A.ベサリウス,パラケルスス,A.パレらによって新しい医学が開花した。1731年パリに初めて外科専門の王立アカデミーおよび学校が創立され,19世紀中ごろにはイギリスでは外科医が理髪師から分離して,社会的地位が与えられ,内科と対等に学問的に独立した歩みを進めることができるようになった。しかし,この時代には消毒の概念がなかったので,手術創の化膿による悲惨な状態が続き,これを防ぐための対策にはなお長い年月を要した。J.リスターの画期的な消毒法の発見(1867)は,近代外科学に光明をもたらし,外科学は急速に進歩し,優秀な外科医が輩出した。各部門での専門化も高度となり,一般外科から整形外科,産婦人科,泌尿生殖器科,耳鼻咽喉科,眼科などが分化し,近年では脳外科,胸部外科などが,ごく最近では麻酔科,形成外科,小児外科などが独立することになった。
第2次大戦後の40年間の外科学の進歩には目をみはるものがあるが,これは無菌法,抗生物質の発見,麻酔法の発達,輸血・輸液療法の確立に負うところが大きい。
19世紀後半,L.パスツールの細菌の発見を契機として,J.リスターが石炭酸による消毒法を考案したが,シンメルブッシュCurt Schimmelbuschの手術器具類の煮沸蒸気消毒法の確立(1889)によって,細菌の増殖をおさえるという制腐法から,細菌を完全に死滅させるという無菌法の時代に入った。サルファ剤の発見,A.フレミングによるペニシリンの発見,それに続く種々の抗生物質の発見・合成は,今日の外科無菌手術に大きな進歩をもたらした。1805年(文化2)世界に先駆けて華岡青洲が曼陀羅華(まんだらげ)(チョウセンアサガオ)を主成分とした麻沸湯による全身麻酔で乳癌の手術に成功した。それから約40年後アメリカのW.T.G.モートンらがエーテル麻酔に成功,以来吸入麻酔用ガスの開発は近代麻酔学の基礎となった。1901年のK.ラントシュタイナーのABO式血液型の発見,14年のヒュースティンAlbert Hustinらによる抗凝固剤クエン酸ナトリウムの発見,40年のK.ラントシュタイナーらによるRh式血液型の発見などは輸血の実施を促進させ,大きな成果をもたらした。輸液療法も,体液に関する病態が明らかにされるにともない,異常な病態に適合した内容のものが補給可能となった。しかも,かつてはどんなに努力しても1日600kcal以上の補給は無理であったが,60年代に経中心静脈的高カロリー輸液療法(中心静脈栄養)が開発され,1日2000~3000kcalが補給可能となり,外科治療に一大福音をもたらすようになった。
20世紀に入り,肺結核に対する胸部外科手術がアメリカを中心に発達したが,これと並行して心臓外科が台頭し,1945年には人工心肺装置が開発され,心臓も外科医を遠ざける領域ではなくなった。脳外科の歴史はアメリカのクッシングHarvey Cushing(1869-1939)に始まるが,今日ではCTスキャンやレーザーの出現により,その適応域は完全に変貌してとどまるところを知らない。消化器外科分野でも,食道癌,膵癌はいうに及ばず,メスを加えることができないといわれた肝臓癌の手術さえも,可能となった。今日の交通や工業の著しい発達は,広範囲熱傷や多発外傷を二次的産物としてもたらしたが,これにともない救急外科が発達分化し,その後の瘢痕(はんこん)形成や運動機能回復のための形成外科を分離させることになった。また先天性奇形や新生児・乳幼児を対象とする小児外科も当然のことながら分離独立した。このように外科は専門分化してきたが,それと同時に,ただ病巣を取り去るのみではなく,新しい臓器を補塡(ほてん)しようとする気運が生まれた。腎臓移植,心臓移植,肺移植などの臓器移植外科がそれである。そして,このような臓器移植は社会にきわめて重大な問題を投げかけることになったのである。すなわち臓器提供者側の死の判定の問題のほかに,法的な解釈,倫理上,宗教上の問題などさまざまの問題があり,これらを解決,総合して大方のコンセンサスを得るのが今後の大きな課題となるであろう(1997年に臓器移植法が成立して,その第一歩が踏み出された)。病める人の生命を救い,苦痛を軽減する目的で必要な手術を行うために,生体に合法的にメスを加えることが許されている外科医にとって,今日ほどモラルを問われる時代はない。ことに人工体外受精(試験管ベビー)は,臓器移植とともに,医学を超えた大きな社会問題である。また機械工学,電子工学,高分子科学のめざましい発達はME(医用工学)を駆使する人工臓器への夢をかきたてる。古くなった臓器の機能を新しいもので代行させる時代がくるかもしれない。とすれば生命の尊厳はどこへ行ってしまうのか,神に対する冒瀆(ぼうとく)になりはしないか,外科,いな医学の今後にかかえた問題は実に大きい。
→手術
執筆者:相馬 智
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…治療法についても,これらの情報をもとに,可能性の幅と深さが飛躍的に増大してきた。とくに外科技術の進歩は,身体内でメスの及ばない部分をなくすまでになっただけでなく,臓器の移植や人工臓器までが可能になっている。薬剤療法についても,病原微生物の発育を強力に阻止する抗生物質がつぎつぎと開発され,また,生理機能を選択的に抑制したり昂進させたりする薬剤も多数開発され,医学は病気の統御に絶大な能力をもつと思わせるようになった。…
…血管病変の手術的治療を扱う外科の一分野。1950年代以降,動脈あるいは静脈の疾患に対する手術的治療は長足の進歩をとげた。…
…治療の目的で皮膚あるいは粘膜,その他の組織を切開して,なんらかの操作を加えることを手術という。日本でいう外科にあたる欧米語は,ラテン語のcheirurgia(〈手のわざ〉の意)に由来するので,外科の代表的なものが,手を血でよごして治療する手術であるということになる。かつて手術は,主として体表面の病巣に対して行われたため,外を治療する,すなわち外治という意味での外科を代表して内科medicineに対してきた。…
…以下同じ)は古くは〈病気を治すこと〉あるいは〈病気を治すもの〉を意味していたにちがいない。だから,古代のmedicineでは,薬を飲ませて病気を治すこと(後世の内科的療法)と,けがの手当や瀉血(しやけつ)したり手術したりすること(後世の外科的療法)との間にはなんの差別もなかった。ヒッポクラテスに,内科的著作のほかに,《頭部外傷について》その他の一連の外科医書があることもその一証拠になるであろう。…
※「外科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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