山彦 文子(2代目)
ヤマビコ ブンシ
- 職業
- 河東節太夫
- 肩書
- 十寸見会技芸総代(初代)
- 本名
- 岡田 米子
- 別名
- 初名=山彦 米子
- 生年月日
- 明治10年 2月11日
- 出生地
- 東京
- 経歴
- 河東節を11代目河東・山彦秀翁に師事、山彦米子を名乗り、昭和24年2代目山彦文子を継いだ。河東節の十寸見会に推され、初代技芸総代となった。細い上品な声で、「ぬれ扇」などを得意とした。
- 没年月日
- 昭和34年 11月17日 (1959年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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山彦 文子(2代目)
ヤマビコ ブンシ
大正・昭和期の河東節太夫 十寸見会技芸総代(1代目)。
- 生年
- 明治10(1877)年2月11日
- 没年
- 昭和34(1959)年11月17日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 岡田 米子
- 別名
- 初名=山彦 米子
- 経歴
- 河東節を11代目河東・山彦秀翁に師事、山彦米子を名乗り、昭和24年2代目山彦文子を継いだ。河東節の十寸見会に推され、初代技芸総代となった。細い上品な声で、「ぬれ扇」などを得意とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山彦文子(初代)
生年:生没年不詳
江戸後期の河東節の三味線方。9代目十寸見河東の妻。天保7(1836)年ごろから安政5(1858)年ごろまで9代目河東と共に,おもに河東節の師匠として活躍し,山彦栄子など多くの女性の弟子を育てた。幕末明治期には,三味線音楽にも次第に女性の進出が目立つようになり,河東節もこれら女流演奏家の活躍によって,今日まで伝承されることになった。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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山彦文子(2代) やまびこ-ぶんし
1878-1959 大正-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治11年2月11日生まれ。河東(かとう)節。山彦秀翁(11代十寸見(ますみ)河東)にまなび,山彦米子を名のる。昭和24年2代をつぎ,十寸見会初代技芸総代となった。昭和34年11月17日死去。81歳。東京出身。本名は岡田米子。
山彦文子(初代) やまびこ-ぶんし
?-1858 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。天保(てんぽう)7年ごろから安政5年にかけて,夫の十寸見(ますみ)可慶とともに活躍。山彦栄子(えいし)ら女性の弟子を育成した。安政5年8月6日死去。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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