山彦栄子(読み)ヤマビコ エイシ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山彦栄子」の解説

山彦 栄子
ヤマビコ エイシ


職業
河東節三味線方

本名
大深 てい

別名
別名=藤岡 てい

生年月日
天保9年

出生地
江戸・柳橋(東京都)

経歴
江戸柳橋の船宿藤岡の出身で、藤岡ていとも呼ばれる。幕末期、河東節の9代目十寸見河東とその妻山彦文子に師事して三味線を習う。安政5年(1858年)頃からその名が見えるようになり、明治8年には河東節の筆頭として「諸芸人名録」に記載されている。幕末から明治初期にかけて河東節を伝承した功績は大きく、女性の門弟を多く育成し、藤岡派と呼ばれる一派を創設した。

没年月日
大正11年 11月10日 (1922年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「山彦栄子」の解説

山彦栄子

没年:大正11.11.10(1922)
生年:天保9(1838)
江戸後期から大正にかけての河東節の三味線方。本名大深てい。江戸柳橋の藤岡という船宿の出身。9代目十寸見河東とその妻山彦文子の弟子といわれ,幕末から明治のはじめごろに河東節を伝承し後世に伝えるという大きな役割を果たした。女性の弟子を多く育て,その一派は俗に藤岡派と呼ばれた。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山彦栄子」の解説

山彦栄子 やまびこ-えいし

1838-1922 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
天保(てんぽう)9年生まれ。江戸柳橋の舟宿藤岡の出身。十寸見河慶(ますみ-かけい)の門人。河東(かとう)節を伝承し,おおくの女性の弟子をそだて,その一派は藤岡派とよばれた。大正11年11月10日死去。85歳。本名は大深てい。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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