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山村松庵 やまむら しょうあん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山村松庵 やまむら-しょうあん

?-1658 江戸時代前期の陶工。
李勺光(り-しゃくこう)の子。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩の御用焼物師となり,寛永2年作之允(御用焼物所の長官)に任じられる。18年藩士を殺し,隠居して松庵と号する。明暦4年2月15日に仇(あだ)討ちにあい死去。名は光政。通称は新兵衛。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山村松庵

没年:万治1(1658)
生年:生年不詳
江戸前期の萩焼の陶工。文禄・慶長の役の際に渡来した朝鮮王朝(李朝)の陶工で,萩焼の開祖李勺光の長男。名は新兵衛光政。のちに法体して松庵(正庵)と号した。李勺光没後は勺光の弟李敬(のちの坂高麗左衛門)に養育され,成人後は高麗焼物細工御茶入の家として萩(長州)藩に召し出された。寛永2(1625)年萩藩初代藩主毛利秀就から「作之允」に任ぜられ,「松本窯薪山御用焼物所惣都合」として焼物師たちを統率した。明暦2~3(1656~57)年,弟子の蔵崎五郎左衛門勘兵衛,赤川助左衛門助右衛門が深川の三之瀬(長門市)に移住し独立すると,嫡男の平四郎光俊が深川に移住し,「三之瀬焼物所惣都合〆」となり,山村家による統率が続くが,万治1(1658)年松庵が仇討によって討たれ,山村家の地位は失墜した。

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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