朝日日本歴史人物事典 「山村松庵」の解説
山村松庵
生年:生年不詳
江戸前期の萩焼の陶工。文禄・慶長の役の際に渡来した朝鮮王朝(李朝)の陶工で,萩焼の開祖李勺光の長男。名は新兵衛光政。のちに法体して松庵(正庵)と号した。李勺光没後は勺光の弟李敬(のちの坂高麗左衛門)に養育され,成人後は高麗焼物細工御茶入の家として萩(長州)藩に召し出された。寛永2(1625)年萩藩初代藩主毛利秀就から「作之允」に任ぜられ,「松本窯薪山御用焼物所惣都合」として焼物師たちを統率した。明暦2~3(1656~57)年,弟子の蔵崎五郎左衛門・勘兵衛,赤川助左衛門・助右衛門が深川の三之瀬(長門市)に移住し独立すると,嫡男の平四郎光俊が深川に移住し,「三之瀬焼物所惣都合〆」となり,山村家による統率が続くが,万治1(1658)年松庵が仇討によって討たれ,山村家の地位は失墜した。
(伊藤嘉章)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報