ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バサラブ朝」の意味・わかりやすい解説 バサラブ朝バサラブちょうBasarab(Bassarab; Bessaraba) ルーマニアの王朝名。家系の起源は不明。 1658年までワラキア一帯を統治。バサラブ1世 (在位 1330~52) はワラキアに封建国家を建国,ブルガール人の支援を得てビザンチン帝国やハンガリーと抗争。ミルチヤ老公 (在位 86~1418) 治世下にオスマン帝国と対立,1417年まで帝国の宗主権下におかれた。ネアゴエ・バサラブ (在位 1512~21) のとき王朝は再び安定し文化も栄えた。ミハイ勇敢公 (在位 93~1601) は全ルーマニアの団結をはかり,一時オスマン帝国の侵入を撃退したが,再び敗れた。しかしマテイ・バサラブ (在位 32~54) はトランシルバニア諸侯と結んでオスマン帝国に対抗,国政上の諸改革とともに文化や経済を発展させたが,次のコンスタンチン・シェルバンに男子継承者がなく,1658年シェルバンの死によって王朝は断絶した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by