日本大百科全書(ニッポニカ) 「スコーネ」の意味・わかりやすい解説
スコーネ
すこーね
Skåne
スウェーデン南部の地方。イョータランド地方南端に位置し、西にエアスン(イョーレスンド)海峡を挟んでデンマークに相対する。南と東はバルト海に面し、なだらかな海岸線を描く。北部は緩やかな丘陵で、南に向かうにしたがって平野となり、北西より南東にかけて標高200メートルのオースとよばれる数条のホッグバック(急傾斜の同斜山稜(さんりょう))が走る。気候は海洋性で、比較的温暖。平均気温は2月0~2℃、7月17℃。気候、地質ともにヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島との過渡的様相を呈し、植生も広葉樹が多い。面積1万1283平方キロメートル、人口107万6031(1992)。人口密度は1平方キロメートル当り95人。人口分布は極端に南西に多く、75%が南西部に密集している。海岸沿いの都市は不凍港で重工業が発達し、平野は肥沃(ひよく)で大農場が多く、野菜、ジャガイモの作付けはスウェーデン一で、1ヘクタール当りの小麦の生産高は世界一。ヨーロッパ道4号線と6号線が、それぞれフェリーでデンマーク、ドイツと連絡している。
[中島香子]
歴史
有史以来1658年までデンマークの領土であったが、ルンドに民会を有し、「スコーネ法」とよばれた独自の法が存在した。デンマークの大司教座が置かれ(1103~1536)、ニシン漁でも栄えた。その位置と富をめぐって国際的関心が集まり、1370~85年にはハンザ都市が西部スコーネを抵当として占領した。15~17世紀間にはバルト海の覇権を争うデンマーク・スウェーデン間の抗争地となり、第一次カール・グスタフ戦争の結果、西側のハランド、東側のブレッキンゲ、バルト海のボーンホルム島(のちにデンマークへ復帰)とともにスコーネはスウェーデンに譲渡された(1658年ロスキレの和議)。続くスコーネ戦争(1675~79)でデンマークはスコーネの奪還を意図したが失敗し、スコーネのスウェーデン化は1668年のルンド大学創立などにより着々と進行し、大北方戦争(1700~21)時にはスウェーデン化がほぼ完了していた。
[村井誠人]