20世紀日本人名事典 「山田介堂」の解説
山田 介堂
ヤマダ カイドウ
明治・大正期の日本画家
- 生年
- 明治3年(1870年)
- 没年
- 大正13(1924)年
- 出生地
- 越前国丸岡(福井県)
- 本名
- 山田 巳三郎
- 別名
- 別号=隻玉道人
- 経歴
- 代々丸岡藩家老職をつとめる家に生まれる。幼時より藩儒岡十賀に経学を学び、のち清人王延章に詩文と書画を学ぶ。18歳頃より遊歴し、京都で富岡鉄斎に師事、南画を学んだ。のち明石の細谷立斎に花鳥山水を学び、四国を経て、豊後目田の平野五岳の教えを受けるなど諸国を遊歴。36歳で京都に一家を構え、日本美術協会、京都美術協会などの会員となり、諸展覧会で受賞を重ねる。文展開設後、明治44年「万竿烟雨」、大正2年「積翠塔影」、3年「清渓漁隠」がいずれも褒状を受賞。10年京都の南画家達と日本南画院を結成、まもなく同院を脱退したが、田近竹邨、池田桂仙と共に大正期の南画壇の三元老として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報