田近竹邨(読み)タヂカ チクソン

20世紀日本人名事典 「田近竹邨」の解説

田近 竹邨
タヂカ チクソン

明治・大正期の日本画家



生年
元治1年4月28日(1864年)

没年
大正11(1922)年4月11日

出生地
豊後国直入郡竹田(大分県竹田市)

本名
田近 岩彦

学歴〔年〕
京都府画学校〔明治19年〕卒

経歴
初め郷里の淵野桂僊に学び、18歳の時京都に出て田能村直入に入門、南画を学ぶ。明治29年日本南画協会の結成に参加、幹事となる。30年全国絵画共進会で3等銅牌を受け、新古美術品展でも受賞を重ねる。文展開設後は、41年、42年と3等賞、43年「秋山暁靄」、44年「山雲呑吐」、大正元年「深遠」、2年「乍雨乍晴」、3年「春雲秋靄」が連続して褒状を受賞し、10年日本南画院を結成。田能村竹田画風に私淑し、山田介堂、池田桂仙と共に大正期京都南画壇の三元老として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田近竹邨」の解説

田近竹邨 たぢか-ちくそん

1864-1922 明治-大正時代の日本画家。
元治(げんじ)元年4月28日生まれ。田近陽一郎の子。郷里で淵野桂僊に,京都で田能村(たのむら)直入にまなぶ。明治29年日本南画協会に参加。41年第2回文展から大正3年第8回まで連続受賞。10年日本南画院を結成。大正11年4月11日死去。59歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。京都府画学校卒。本名は岩彦。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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