山田昇(読み)ヤマダ ノボル

20世紀日本人名事典 「山田昇」の解説

山田 昇
ヤマダ ノボル

昭和期の登山家



生年
昭和25(1950)年2月9日

没年
平成1(1989)年2月

出身地
群馬県沼田市

学歴〔年〕
沼田高卒

経歴
沼田高時代に山登りを始める。昭和53年秋ダウラギリI峰(8167m)に新ルートからの登頂成功以後、56年春カンチェンジュンガ(8586m)、58年秋ローツェ(8516m)、同年冬エベレスト(8848m)と次々に世界の巨峰征服。60年には7月にK2(8611m)、10月にエベレスト、12月にマナスル(8163m)と世界初の3季連続8000メートル峰登頂に成功。マナスル頂上では31年に初登頂した槇有恒らのピースの空き缶に入れられた名簿を拾った。63年には135日間で5大陸最高峰にすべて登頂する世界最短記録を樹立した。平成元年2月マッキンリー遭難、3月15日遺体が確認された。15年山仲間の手により遺稿と追悼文をまとめた「白き山河旅人」が自費出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田昇」の解説

山田昇 やまだ-のぼる

1950-1989 昭和時代後期の登山家。
昭和25年2月9日生まれ。昭和60年世界初の夏秋冬3季連続8000m峰登頂に成功。冬の五大陸最高峰初登頂をめざすが,平成元年2月北アメリカのマッキンリーで遭難死した。39歳。日本人初の8000m峰9座12回登頂記録をのこした。群馬県出身。沼田高卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山田昇」の解説

山田 昇 (やまだ のぼる)

生年月日:1950年2月9日
昭和時代の登山家
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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