20世紀日本人名事典 「山田昌作」の解説
山田 昌作
ヤマダ ショウサク
大正・昭和期の実業家 北陸電力社長。
- 生年
- 明治23(1890)年3月29日
- 没年
- 昭和38(1963)年2月25日
- 出生地
- 富山県富山市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学〔大正3年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和30年〕
- 経歴
- 大正5年富山電気に常務で入社。昭和4年日本海電気社長となり、日本鋼管富山工場などに超安値電力を供給して北陸地方の工業立地に尽力。15年日本海ドックを設立し社長。16年北陸合同電気を創立、社長。当時政府の8ブロック配電統合案に反対、北陸ブロック設置を実施した。17年北陸配電設立で社長。戦後追放に先だって21年辞任。26年電力再編による北陸電力発足で社長に復帰、五条方発電所を建設、31年宿願の有峰発電開発計画に着工、34年完成。同年9月社長を退き相談役。癌研究会理事長も務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報