国指定史跡ガイド 「山田高塚古墳」の解説
やまだたかつかこふん【山田高塚古墳】
大阪府南河内郡太子(たいし)町山田にある古墳。金剛山地の西麓に位置し、用明(ようめい)天皇陵や敏達(びだつ)天皇陵とされる古墳が点在する王陵の谷と呼ばれる地域にある。宮内庁によって推古(すいこ)天皇陵に治定(じじょう)され、陵名は磯長山田陵(しながのやまだのみささぎ)。東西63m、南北56m、高さ12mの方墳で、『古事記』などの記述から皇子の竹田皇子の墓に合葬され、その後ここに改葬されたと考えられ、古墳内部に2つの横穴式石室があると推定されている。平安時代に盗掘にあっているため、実態はさだかではないが、3段築成で周囲には幅7mの空濠があり、古墳時代末期の築造とされる。2012年(平成24)には考古学研究者による初の立ち入り調査が行われ、石室の一部が確認された。近畿日本鉄道南大阪線上ノ太子駅から徒歩約45分。