日本歴史地名大系 「山竹田村」の解説
山竹田村
やまたけだむら
丸岡城下の東方、竹田川の上流の山間の小盆地にあり、東北は加賀国境の山々に連なる。枝村として
慶長三年(一五九八)の越前国長畝郷山竹田村御帳(坪川家文書)によれば、奥書に先高五四七・六三石、出分三五五・九六石、合九〇三・五九石と記され、さらに「此外」として「壱反弐畝庄屋木内名・壱反弐畝同田嶋名・壱反弐畝同新五
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
丸岡城下の東方、竹田川の上流の山間の小盆地にあり、東北は加賀国境の山々に連なる。枝村として
慶長三年(一五九八)の越前国長畝郷山竹田村御帳(坪川家文書)によれば、奥書に先高五四七・六三石、出分三五五・九六石、合九〇三・五九石と記され、さらに「此外」として「壱反弐畝庄屋木内名・壱反弐畝同田嶋名・壱反弐畝同新五
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