山脇延吉(読み)ヤマワキ エンキチ

20世紀日本人名事典 「山脇延吉」の解説

山脇 延吉
ヤマワキ エンキチ

明治〜昭和期の農政運動指導者 帝国農会副会長;兵庫県議。



生年
明治8年2月7日(1875年)

没年
昭和16(1941)年4月26日

出生地
兵庫県有馬郡道場村(現・神戸市)

学歴〔年〕
東京帝大中退

経歴
旧制五校から東京帝大に進み土木工学を学ぶが、父の急逝により退学を余儀なくされ家業を継ぐ。明治40年兵庫県議に当選。1期ののち道場村長を経て、大正8年兵庫県議に再選、以後終生県議を務め、議長にも3度選出された。また大正2年有馬鉄道社長に就任、15年神戸電鉄の前身である神戸有馬電鉄を設立、初代社長。昭和14年帝国農会副会長となり、農村振興運動に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山脇延吉」の解説

山脇延吉 やまわき-えんきち

1875-1941 明治-昭和時代前期の農政家,実業家
明治8年2月7日生まれ。東京帝大でまなび,明治42年兵庫県会議員,大正10年県農会長となる。15年神戸有馬電鉄(現神戸電鉄)初代社長。農村自力更生提唱,それをきっかけに昭和7年農林省に経済更生部が新設された。14年帝国農会副会長。昭和16年4月26日死去。67歳。兵庫県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山脇延吉の言及

【農民運動】より

…平野力三を組合長とする日本農民組合は,33年,軍部を中心とした大日本皇道会との提携を決定した。同年にはさらにファッショ的農民団体である日本農道会が兵庫県農会長山脇延吉を発起人として結成される。こうしたなかで,全農は34年から36年にかけて再合同を果たすが,38年には反共・反人民戦線を明確にした大日本農民組合と日本農民連盟に分裂・改組され,近衛文麿を中心とする新体制のもとでついに活動の幕を閉じた。…

※「山脇延吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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