山路庄(読み)やまじのしよう

日本歴史地名大系 「山路庄」の解説

山路庄
やまじのしよう

現東灘区中央部一帯に比定される。右大臣藤原俊家(藤原道長の孫)家領、のち奈良春日社および奈良興福寺領。山道庄・山地とも記す(「満済准后日記」正長元年一〇月四日条など)。「水左記」永保四年(一〇八四)四月二五日条に山路庄とみえ、今南いまみなみ庄との間で相論が起こっていた。領家は藤原俊家で(「中右記」長承二年三月一九日条)、孫の太政大臣藤原伊通に伝領され、京都北野社執行永勝が伊通の祈師であったことから北野社正月修正料に充てられ、修正奉行職は永勝から覚禅・有禅・永源・親禅へと各々弟子へ相伝された(文永二年五月日「散位源某宛行状写」北野神社文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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