福原庄(読み)ふくはらのしよう

日本歴史地名大系 「福原庄」の解説

福原庄
ふくはらのしよう

みなと川の中流域、現兵庫区荒田あらた町・平野ひらの一帯から、かつて宇治野うじのとよばれた現中央区中山手通なかやまてどおり付近にかけた地域を中心に、海浜部にまで及んでいたとみられる八部やたべ郡の庄園。建仁二年(一二〇二)二月一四日の輪田庄庄官源能信等申状(九条家文書)に福原・福原庄とみえ、応保二年(一一六二)平清盛が藤原能盛を使いとして八部郡一郡検注を行った際、当庄など四ヵ庄により輪田わだ庄は侵食されていたという。また輪田庄の中心であった浜は当庄が押領して津料を徴収し、湊川の第三井手も当庄が押領したという。なお同申状によれば当庄の斗代は、上田単定四斗一升・中田単定三斗五升・下田単定二斗五升であった。当庄は応保二年以前すでに成立していたが、本家・領家とも明らかでない。その後一帯には平氏一門の別荘が建てられたが、同氏の滅亡により、当庄は鎌倉幕府に没収され、源頼朝の妹である一条能保室に与えられた。彼女は文治元年(一一八五)死去し、夫能保は遺領二〇ヵ所を子女に分け与えた(「吾妻鏡」建久三年一二月一四日条)。福原庄領家職は九条良経室となった一条能保女に与えられ、次いで彼女の孫の一条実経が相続して一条家領となったと思われ、貞応元年(一二二二)・暦応二年(一三三九)に一条家の本所進止を裁許されたという(永享四年六月二日「室町幕府裁許状」御前落居記録)

応長二年(一三一二)二月二五日作成の応長元年分文書勘渡帳(東大寺文書)によると、兵庫関や福原庄に居住する商人らが院宣を掠め、奈良東大寺関務を妨げることを訴えた文書一結があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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