山鹿良之(読み)ヤマシカ ヨシユキ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山鹿良之」の解説

山鹿 良之
ヤマシカ ヨシユキ


職業
琵琶奏者

専門
肥後琵琶

資格
無形文化財保持者(肥後琵琶)〔昭和48年〕

別名
芸名=玉川 教演(タマガワ キョウエン),別名=山鹿 教演(ヤマシカ キョウエン)

生年月日
明治34年 3月20日

出生地
熊本県 玉名郡大原村(南関町)

学歴
高小〔明治39年〕中退

経歴
4歳で左目を失明。22歳で天草座頭(盲目の琵琶法師)・江崎初太郎に手ほどきを受け、大牟田柳川筑後の一円を門付けしながら琵琶を習得。以来、琵琶師の多くが戦争を機に職を変えた中で、琵琶だけを本業とした。特に若者との交流を持つなど、伝統芸能「肥後琵琶」の伝承に情熱を燃やし、5時間以上の語り物を500曲以上唄い、「小栗判官」を通しで弾き語れた。青池憲司監督により記録映画「最後の琵琶法師・山鹿良之」が撮影された。

受賞
勲五等瑞宝章〔昭和54年〕 熊本県文化財功労者〔昭和52年〕,国際障害者年記念表彰〔昭和56年〕,伝統文化ポーラ賞(第3回・特賞)〔昭和58年〕,熊本県芸術功労者顕彰〔昭和59年〕

没年月日
平成8年 6月24日 (1996年)

伝記
肥後の琵琶師―近世から近代への変遷肥後琵琶弾き 山鹿良之夜咄―人は最後の琵琶法師というけれど 安田 宗生 著木村 理郎 著(発行元 三弥井書店三一書房 ’01’94発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山鹿良之」の解説

山鹿 良之
ヤマシカ ヨシユキ

昭和・平成期の琵琶奏者



生年
明治34(1901)年3月20日

没年
平成8(1996)年6月24日

出生地
熊本県玉名郡大原村(現・南関町)

別名
芸名=玉川 教演(タマガワ キョウエン)

学歴〔年〕
高小〔明治39年〕中退

主な受賞名〔年〕
熊本県文化財功労者〔昭和52年〕,勲五等瑞宝章〔昭和54年〕,国際障害者年記念表彰〔昭和56年〕,伝統文化ポーラ賞(第3回・特賞)〔昭和58年〕,熊本県芸術功労者顕彰〔昭和59年〕

経歴
4歳で左目を失明。22歳で天草の座頭(盲目の琵琶法師)・江崎初太郎に手ほどきを受け、大牟田、柳川、筑後の一円を門付けしながら琵琶を習得。以来、琵琶師の多くが戦争を機に職を変えた中で、琵琶だけを本業とした。特に若者との交流を持つなど、伝統芸能「肥後琵琶」の伝承に情熱を燃やし、5時間以上の語り物を500曲以上唄い、「小栗判官」を通しで弾き語れた。青池憲司監督により記録映画「最後の琵琶法師・山鹿良之」が撮影された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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