デジタル大辞泉 「座頭」の意味・読み・例文・類語
ざ‐がしら【座頭】
2 演劇・演芸などの一座の頭。座長。特に、歌舞伎では、一座の長で代表格の俳優。
[類語]大立て者・名優・千両役者・スター・花形・立役者・星・ヒーロー・ヒロイン・アイドル・カリスマ・一枚看板・人気者・売れっ子・はやりっ子・寵児
(1)座の頭人の意味で,中世の商業や手工業の座,村落で結成された宮座,芸能の座などの長(おさ)をいう。これらの座頭は,座に加わった年数や年齢によって座役をつとめ,その回数が功労となって座頭となるのが普通である。
(2)室町時代に盲人の琵琶法師明石覚一によって形成されたと伝える当道座(当道)は,雨夜(あまよ)尊(仁明天皇の皇子人康親王)を始祖とするという琵琶法師の座であった。座頭はこの当道座に設けられた四官(検校(けんぎよう),別当,勾当(こうとう),座頭)の最下位。剃髪した僧体の盲人で,その名の上に〈城〉,あるいは下に〈一〉の字を多く使用し,琵琶を伴奏として《平家物語》や《曾我物語》を語り,ときには早歌や小歌をうたった。こうして平曲(へいきよく)が広く貴賤に愛好された室町時代に,都や地方において公家や武家や社寺の酒席や祭礼の場にはべって,あるいは平曲を語り,あるいは遊吟したりした。また,ときには〈勧進平家〉と称して,多くの聴衆を連日あつめて社寺造営などのために勧進興行を行うなど,中世芸能史上に大きな足跡を残した。15世紀中ころ,京都だけで数百人の座頭がいたという記録もあって,彼らの活躍がしのばれる。しかし,中世末から近世に入って,平曲の人気がすたれてくると,琵琶のほかに箏や三味線や胡弓を弾いて浄瑠璃などを語る者が多くなり,さらには音曲をはなれてあんま・はりにたずさわる人も現れて,やがてはこれらを渡世とする法体の盲人が,座頭の大多数を占めるようになった。江戸時代になって,伊豆円一という人が徳川家康の許可を得て〈当道式目〉を定め,幕府の承認のもと,琵琶法師の保護と統制が強化された。当道座で定めた検校以下の四官は売買の対象となり,芸能や治療を渡世とする彼らのなかに買官による昇進組織がつくられた。座頭になると,紫の菊綴の長絹(ちようけん)に白袴をはき,塗杖を使うことが許され,また庶民の出産,結婚,建築,葬礼,法要など吉凶17種の場合に運上(うんじよう)金を取り立て,幕府から冥加金が与えられた。こうして幕府の保護のもと,当道の四官になると社会的地位も高く,財力も豊かとなり,さらに座頭金(ざとうがね)と呼ばれた高利貸の営業権が認められ,その貸付金は官金と称して他の債務に対して取り立ての優先権が保障された。座頭金は高利と過酷な取り立てで,民衆を苦しめる場合も多かった。この座頭のもつ諸権利は,1871年(明治4)に廃止された。
執筆者:藤井 学(3)狂言には,座頭狂言または座頭物と分類される一群の演目があり,座頭といえば盲人の役をさす。《川上》《清水(きよみず)座頭》《月見座頭》《猿座頭》のシテ,《不聞(きかず)座頭》《三人片輪》のアド,《丼礑(どぶかつちり)》《鞠座頭》《伯養》のシテとアドが該当する。ただし,《猿座頭》《丼礑》のシテ,《鞠座頭》のシテ,アドは曲中では勾当の身分として扱われ,《月見座頭》も座頭,勾当両様の演じ方がある。
執筆者:羽田 昶
歌舞伎で,一座の首位に置かれる役者の称。一座の役者を統率し,舞台,楽屋生活に関するいっさいを統轄する権利と責任をもつ。狂言の上演に当たっては,今日の演出家の役割を兼ねた。座元(ざもと),立作者(たてさくしや)とともに興行の経営にも参画し,芝居年中行事で重要な役目を受け持った。たとえば,顔見世興行に先立って座元宅で行われた〈世界定め〉(9月12日)には,立作者,頭取,帳元(ちようもと)とともに参集し,顔見世狂言の〈世界〉や抱え役者の人選などを相談した。また,正月1日の仕初め(しぞめ)で,舞台に全役者が居並ぶとき,座頭は前に進んで年頭祝儀の口上を述べ,かつ初春興行の大名題(おおなだい),小名題(こなだい),役人付(やくにんづけ)を読み上げて,一座の役者を紹介するしきたりであった。座頭役者は人気と実力を兼備し,人格的にも信望の厚い人物である必要があった。座頭役者の子が親の名跡(みようせき)を継ぎ,あるいは高弟が師匠の名跡を継いで,座頭となる場合が多かった。それだけに,下級の役者から出世して,実力だけで座頭の地位につくのは至難の業で,初世中村仲蔵,4世市川小団次らは,その稀有な例。立女方(たておやま)を指して〈女方の座頭〉と呼ぶことはあった(《三座例遺志(さざれいし)》)が,原則として女方は一座の座頭にはならなかった。上方では,座頭に次ぐ地位の立役を座頭脇(ざがしらわき)と呼んだ。明治以後は一興行ごとに座組(ざぐみ)が変わることが多くなり,しぜん,座頭の権限も小さくなった。
執筆者:服部 幸雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(1)広義には中世以来、商業・手工業・芸能など諸座の長。
(2)狭義には当道座(とうどうざ)の四官の一つ。江戸中期成立の『当道要集』では、室町初期に足利尊氏(あしかがたかうじ)の庶流と称して世に出た明石覚一(あかしかくいち)が、琵琶(びわ)語りなどの盲人を糾合して当道座をつくり、座中維持のため検校(けんぎょう)、別当(べっとう)、勾当(こうとう)、座頭の四官を厳重に規定したとされる。しかし座頭の語は『源威(げんい)集』文和(ぶんな)4年(1355)2月の東寺合戦の記事に「座等琵琶」とあるのが初見。将軍徳川家康のころには伊豆円一という者が出て、式目の認可を得、座中統制にあたっている。彼らは剃髪(ていはつ)し楽器をもって歌曲し、また按摩(あんま)、鍼(はり)などを主業としたが、前記四官に累進するにはかなりの修道が求められた。一方、売官の弊も生じ、補任(ぶにん)料上納も行われた。これらの費用は座中経営費を差し引き勾当以上に配分されたが、座頭はこれにかわって、士分以下一般民衆の生活の吉凶17種に際し、冥加金(みょうがきん)(座当金)を取得する権利を受けた。また座中には金融業も許され、膨大な財をなす者も生じた。
[平井良朋]
歌舞伎(かぶき)や人形浄瑠璃(じょうるり)において、一座の長となる俳優、または劇団を代表する格の俳優。江戸時代における座頭は、一座の役者を統率し、舞台・楽屋生活に関するいっさいを統轄する権利と責任をもっていたばかりでなく、上演にあたって実質上の演出の仕事をも受け持った。座元(太夫元(たゆうもと))と相談し、興行・脚本・経済の面にも関与した。座頭となる役者は、人気と実力を兼ね備え、信望の厚い人物でなければならなかった。しかし、厳然たる門閥制度のために、名門の出身でない者は習練の機会に恵まれず、結果的に座頭も名門出身者で占められることが多かった。下積みから出世して実力だけで座頭となるのは、江戸中期以降では至難の業であった。初世中村仲蔵、4世市川小団次らは、その希有(けう)な例である。原則として、女方(おんながた)はその任につかないことになっていたが、立女方(たておやま)は実質上の副座頭であった。明治以後の歌舞伎は一興行ごとに座のメンバーがかわるのが普通になったため、座頭の権限は小さくなった。
[服部幸雄]
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本来は一座の首席者という意味。一般には中世に盲人琵琶法師が組織した当道座における4官(検校(けんぎょう)・別当・勾当(こうとう)・座頭)のうちの最下位の呼称。近世になると当道座は幕府の統制下に入り,さまざまな保護を与えられた。針・按摩の治療行為や芸能興行に関する営業特権のほか,4官には座頭金(ざとうがね)という高利貸営業が許可された。当道座では座頭の地位を含め,買官による昇進慣行が行われた。1871年(明治4)諸特権とともに廃止。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…その芸能が〈平曲〉としてとくに武家社会に享受され,室町幕府の庇護を受けるに及んで,平曲を語る芸能僧たちは宗教組織から離脱して自治的な職能集団を結成,宗教組織にとどまっていた盲僧と区別して,みずからを当道と呼称した。覚一(かくいち)検校(1300?‐71)の時代に至って,組織の体系化が行われ,当道に属する盲人を,検校,勾当(こうとう),座頭などの官位に分かち,全体を職(しよく)または職検校が統括し,その居所である京都の職屋敷がその統括事務たる座務を行う場所となった。さらに,仁明天皇の皇子で盲人の人康(さねやす)親王を祖と仰ぐなどの権威づけを行い,治外法権的性格を持つに至った。…
…これらの盲目法師らは幕府の公認で,公家の久我家を本所として,当道座という団体をつくって,盲人の位をつかさどり,職業の専有化をはかった。当道座では,初心,座頭,勾当(こうとう)と地位が進み,最高位が検校であり,京都に住んだ職検校が全体を支配した。検校は法印,勾当は法眼(ほうげん)・法橋(ほつきよう)の僧官に準ずるものとされて,その権威と社会的地位は高かった。…
…この柳田分類に対して,折口信夫は,柳田のいう民謡を(1)童謡,(2)季節謡,(3)労働謡に分類する以外に,(4)芸謡の存在を挙げている。芸謡は芸人歌のことで,日本では各時代を通じて祝(ほかい)びと,聖(ひじり),山伏,座頭(ざとう),瞽女(ごぜ),遊女などのように,定まった舞台をもたず,漂泊の生活の中で民衆と接触しつつ技芸を各地に散布した人々があり,この種の遊芸者の活躍で華やかな歌が各地に咲き,また土地の素朴な労働の歌が洗練された三味線歌に変化することもあった。瞽女歌から出た《八木節》,船歌から座敷歌化した《木更津甚句》などがその例である。…
…この平曲の座は天夜尊(あまよのみこと)(仁明あるいは光孝天皇の皇子人康(さねやす)親王ともいう)を祖神とする由来を伝え,祖神にちなむ2月16日の積塔(しやくとう),6月19日の涼(すずみ)の塔に参集して祭祀を執行した。座内には総検校以下検校(けんぎよう),勾当(こうとう),座頭(ざとう)の階級があり,座衆は師匠の系譜によって一方(いちかた),城方(じようかた)の平曲2流に分かれていた。権門を本所(ほんじよ)として祭事を奉仕し,その裁判権に隷従するのは他の諸芸能の座と同様であるが,本所の庇護と座衆の強い結束によって彼らは諸国往来の自由を獲得し平曲上演の縄張を広げ,室町時代に平曲は最盛期を迎えた。…
※「座頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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