福岡県南西端にある都市。1917年(大正6)市制施行。1929年(昭和4)三川(みかわ)町、1941年三池(みいけ)町、駛馬(はやめ)町、銀水(ぎんすい)村、玉川村を編入。北部と東部は筑肥(ちくひ)山地に属する丘陵性山地で、中央部は石炭を含む古第三紀層の小丘陵が広がり、南西部に堂面(どうめん)川、諏訪(すわ)川などの小河川が形成した沖積低地と、有明海(ありあけかい)岸に干拓地、埋立地が展開する。JR鹿児島本線、西日本鉄道天神大牟田線、国道208号、389号が市街地を南北に並走する。市北東部には、JR九州新幹線の新大牟田駅がある。1469年(文明1)の発見と伝えられる三池炭田は、三池藩営を経て、1873年(明治6)官営になり大規模な採炭が開始され、炭鉱町となった。1889年三井に払い下げられて以来、三井資本による開発が本格化し、1908年(明治41)閘門(こうもん)式の三池港が築造されて、輸送体系も整備され、日本一の出炭量を誇る炭鉱となった。炭鉱機械やコークス、亜鉛精錬などの関連工業がおこる一方、1930年代には石炭化学コンビナートが形成され、日本有数の化学工業都市として発展を遂げた。その後、石炭合理化や化学工業の原料転換などにより不況にみまわれたが、三井鉱山(現、日本コークス工業)をはじめ、三井東圧化学(現、三井化学)、三井金属鉱業、三井アルミニウム工業(現、KMアルミニウム)、三井三池製作所などの大企業が多く、1964年(昭和39)に新産業都市の指定を受け、新たな発展を目ざした。石炭産業は、昭和30年代の石炭から石油へのエネルギー転換により衰退し、1997年(平成9)に三池炭鉱は閉山し、炭鉱町としての歴史を閉じた。閉山後は、産業振興、雇用対策が大きな問題となっていて、テクノパークを建設するなど、新たな産業の創出や企業誘致が進められている。延命(えんめい)、甘木(あまぎ)、三池の諸公園や国の指定史跡萩ノ尾(はぎのお)、潜塚(くぐりづか)の両古墳など名所・旧跡も多い。また、市の沖合い約2キロメートルにほぼ円形をした人工島の初島がある。面積81.45平方キロメートル、人口11万1281(2020)。
[石黒正紀]
〔世界遺産の登録〕2015年(平成27)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港、三池炭鉱宮原坑(みやのはらこう)、三池炭鉱万田坑(まんだこう)が世界遺産の文化遺産に登録された。
[編集部]
『『大牟田市史』全4巻(1965~1969・大牟田市)』
福岡県南西端の市。1917年市制。人口12万3638(2010)。市街地は中央の低い古第三紀層丘陵地から西の有明海岸埋立地まで広がり,南の熊本県荒尾市の市街地とまったく連続している。1469年(文明1)に石炭が発見され,1790年(寛政2)から三池藩が炭鉱を直営したが出炭は少なく,長く農漁村であった。1873年(明治6)炭鉱は官営となり採炭が強化されて炭鉱町が発達し,88年三井に払い下げられてから日本一の三池炭鉱として発展するとともに,機械,コークス,化学,亜鉛精錬など石炭関連の諸工業がおこり,1930年代には石炭化学コンビナートを形成した。50年代から〈エネルギー革命〉の影響を強く受け,60年の三池争議がおこった。63年には死者458人の大事故をおこした。三池炭鉱は日本一のビルド鉱として稼働していたが,97年3月末に閉山した。市内には石造アーチ橋の早鐘眼鏡橋(重要文化財),萩ノ尾古墳(史),閘門式の三池港,人工島の初島・三池島,延命公園,甘木山公園などがある。九州新幹線,JR鹿児島本線,西鉄大牟田線が通る。
執筆者:土井 仙吉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
個々の企業が新事業を始める場合に、なんらかの規制に該当するかどうかを事前に確認できる制度。2014年(平成26)施行の産業競争力強化法に基づき導入された。企業ごとに事業所管省庁へ申請し、関係省庁と調整...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新