岐子庄(読み)きしのしよう

日本歴史地名大系 「岐子庄」の解説

岐子庄
きしのしよう

近世の喜志きし村域一帯に比定される庄園。弘安四年(一二八一)五月二六日付の太政官牒(西琳寺文書)が、西琳さいりん(現羽曳野市)に宛てて令したうちの一条「応停止四至内殺生事」の四至のうちに「南限岐子庄」として「依山門西塔領、往代禁断殺生」とみえる。同牒に引用する西琳寺氏人らの解状には、「寺辺二里之殺生者、聖主累代之禁遏哉」と称しているから、西琳寺の南方二里の辺りに所在したことが判明する。また山門(延暦寺)西塔領で、寺領として当庄はすでに殺生を禁止されていたわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む