岐子庄(読み)きしのしよう

日本歴史地名大系 「岐子庄」の解説

岐子庄
きしのしよう

近世の喜志(きし)村域一帯に比定される庄園。弘安四年(一二八一)五月二六日付の太政官牒(西琳寺文書)が、西琳(さいりん)寺(現羽曳野市)に宛てて令したうちの一条「応停止四至内殺生事」の四至のうちに「南限岐子庄」として「依為山門西塔領、往代禁断殺生」とみえる。同牒に引用する西琳寺氏人らの解状には、「寺辺二里之殺生者、聖主累代之禁遏哉」と称しているから、西琳寺の南方二里の辺りに所在したことが判明する。また山門(延暦寺)西塔領で、寺領として当庄はすでに殺生を禁止されていたわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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