代銭納(読み)だいせんのう

改訂新版 世界大百科事典 「代銭納」の意味・わかりやすい解説

代銭納 (だいせんのう)

中世荘園国衙領,あるいは武家領における年貢・公事の現物納に代わる銭納の制度。鎌倉中・末期には数多くの荘園で行われるようになった。地域的には山陽道,東海道,東山道方面荘園にその事例が多いが,南北朝時代にはほぼ全国的に普及した。これは鎌倉時代における農工等生産力の向上,荘園・国衙領内定期市の成立,日宋・日元貿易による銭貨流入と国内流通,都鄙(とひ)における商品貨幣経済進展といった歴史的諸条件にもとづく現象といえる。年貢物代銭納化の直接の契機としては,(1)京都・奈良などの荘園領主,官衙側からの銭納要求,(2)荘園内地頭,地頭代,荘官在地領主側からの要求,(3)交換参加を背景にした荘園農民自体の要求等に区分できる。(1)は当時の日宋貿易や国内遠隔地商業の発展によって,中国産高級絹布・綾・錦や各種の国内特産物が京都・奈良市場に出回るようになり,荘園領主層がそれらを容易に入手できるようになって,支配下荘園所領から送られる現物の年貢・公事への依存度が減じていたこと,さらに年貢物の中心である米や絹綿を大量に収取しても,それらが輻湊(ふくそう)する都市市場での換貨は困難なため,むしろ地方市場で放出換貨し,その代銭を入手するほうが経済的に好つごうであったことによる。(2)の地頭ら在地領主層の要求は,彼らが現地の市場や商人を掌握して交換機能を握っている場合,年貢物の換貨にさいし,価格変動や操作によって中間利潤の取得が可能になっていた事情にもとづくものと考えられる。美濃・尾張以東の養蚕製糸の盛んな荘園において,上質の絹綿や生糸の売買に介入し,中間利潤取得の機会に恵まれていた地頭・荘官らが執拗に代銭納を要求しているのは,現物年貢運送上の問題も考慮しなければならないが,おもな理由は衣料取引への介入にあったといえる。(3)の農民側からの要求は,(2)と同じく絹綿を年貢とする東海道方面の荘園,さらには東寺領丹波国大山荘・同播磨国矢野荘など,絹綿取引商人が訪れ,中央都市商人などの行商圏内にあり,中央・地方間商品流通路に直接つらなる立地条件にある荘園,あるいは京都西郊の東寺領上久世荘などのような都市近郊荘園の農民に多い。

 納入代銭の額は,(1)荘園所領内の名別・田積別に決定された賦課額の納入(これは東国荘園に多い),(2)それまでの納入年貢高を時の和市(相場)にもとづいて換貨し,販売代金をそのまま納入する例,(3)地頭請所荘園などのように荘園領主との契約額を納入するといった諸例,に分かれていた。南北朝・室町時代には年貢分以外に公事・夫役分についても代銭納される例がふえていったが,納入額そのものは守護・国人領主らによる侵害,守護請・代官請と,契約額の未進により漸次減少の傾向をたどった。
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「代銭納」の解説

代銭納
だいせんのう

中世の荘園などで,年貢・公事(くじ)を現物のかわりに銭で納入すること。定められた品目にかえて別の物を納入する色代納(しきだいのう)(雑納)の銭納もいう。貨幣経済の進展で荘園領主は商品として入手できるため,現物納入の必要性がなくなったり,定期市などの発展により,現地での換貨を望む荘官・在地領主や荘民などの要求をみたすものとして銭納化が成立し,鎌倉時代にしだいに進行した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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