日本歴史地名大系 「岡安村」の解説 岡安村おかやすむら 福井県:大飯郡大飯町岡安村[現在地名]大飯町岡安広岡(ひろおか)村の西にあり、佐分利(さぶり)川を南に三方は山に囲まれる。「若狭郡県志」に「岡安村属佐分利郷、去小浜四里半許也、有館村、西条等之号」とある。文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写に、<資料は省略されています>とあり、「領主御家人岡安馬大夫跡也、而佐分郷地頭職御代官被抑領之間、岡安孫二郎訴へ申最中也」との朱書がある。天龍寺重書目録(天龍寺文書)によれば、貞治元年(一三六二)六月「佐分郷内岡泰名」地頭職が摂津杭瀬(くいせ)庄(現大阪市)の替地として京都臨川(りんせん)寺雲居庵領となっている。 岡安村おかやすむら 京都府:舞鶴市志楽地区岡安村[現在地名]舞鶴市字岡安登尾(のぼりお)村の南西、朝来(あせく)谷のほぼ中央に位置し、南の志楽谷への入口白屋(しろや)村に対する。灌漑用の河川がなく盛夏時の用水に苦心したが、環境には恵まれ長寿村として知られる。中世志楽庄朝来村の地とされる。近世に入り、慶長検地郷村帳に高八九・二一石「岡安村」とあり、土目録によれば総高九〇石、うち田方八一石余、畑方八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by