岡本兵松(読み)おかもと・ひょうまつ

朝日日本歴史人物事典 「岡本兵松」の解説

岡本兵松

没年:明治31.10.6(1898)
生年:文政4.8.5(1821.9.1)
明治用水開削者。三河国碧海郡大浜村(碧南市)の岡本兵右衛門の長男。幼名篠吉。味噌・溜製造,廻船問屋を営む。明治初年,家督を弟に譲って石井新田(安城市)に移住,新田開発に従事した。都築弥厚遺志継ぎ,明治4(1871)年以後,伊那県足助支所・額田県・愛知県へと5度にわたって用水開削計画を出願。反対する村々への説得,資金調達に難渋したが,伊予田与八郎らの協力を得て,13年,矢作川から取水して幹線およそ30km,灌漑面積3200ha余におよぶ用水路を,第1期明治用水として完成した。成業式には祝辞を読み,内務卿松方正義らの褒詞に感激するが,経済的には報われず,開拓地の寺子屋の師匠として一生を終えた。『明治用水原因概略記』を著した。号は大林居。石井町に岡本兵松記念公園がある。<参考文献>『明治用水百年史』

(林昌弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡本兵松」の解説

岡本兵松 おかもと-ひょうまつ

1821-1898 明治時代開拓者
文政4年8月5日生まれ。毎年旱魃(かんばつ)の害をうけていた愛知県安城村をすくうため,伊予田与八郎らとともに,石井新田に水路を開削。明治13年明治用水を完成させた。明治31年10月6日死去。78歳。三河(愛知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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