朝日日本歴史人物事典 「岡本甚左衛門」の解説
岡本甚左衛門
生年:安永3.7.10(1774.8.16)
江戸後期の新田開発の功労者。名は祐次。石見国(島根県)の那賀郡七条村の庄屋祐邦の子。文政2(1819)年,同村に属する高原原野,別名狼の巣といわれていた七条原開拓を計画し,浜田藩に願い出て許可を得,私財を投じて翌年より着手した。まず飲料用に数カ所の井戸と溜め池の造成に成功,次いで灌漑用の6カ所の溜め池と山越えの水路6本を設け,同4年には鉄山者80名余を率いて七条原に移住,鉄山開発のかたわら,新田開発のための移住者を募った。同12年までに開発はほぼ完了,戸数50戸,田11ha余,畑5.5ha弱,荒漠たる原野は一新開村(大字七条のうち新開)に一変した。<参考文献>島根県内務部編『島根県旧藩美蹟』
(松尾寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報