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石見国 いわみのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石見国
いわみのくに

現在の島根県西半部。山陰道の一国。中国。もと石見国造が支配。国府,国分寺ともに現在の浜田市にあった。万葉の歌人柿本人麻呂は和銅,神亀の頃,この国の鴨山で没したといわれている。『延喜式』には安濃 (あの) ,邇摩 (にま) ,邑知 (おおち) ,那賀 (なか) ,美濃 (みの) ,鹿足 (かのあし) の6郡がみえ,『和名抄』には郷 36,田 4884町余があげられている。

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百科事典マイペディアの解説

石見国【いわみのくに】

旧国名。石州とも。山陰道の西端,現在島根県西半部。《延喜式》に中国,6郡。柿本人麻呂客死の地として知られ,中世には益田(ますだ)氏が勢力をもち,のち大内・尼子・毛利氏が支配。
→関連項目島根[県]石州半紙中国地方

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

いわみのくに【石見国】

現在の島根県西半部を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で山陰道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は中国(ちゅうこく)で、京からは遠国(おんごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の浜田市におかれていた。南北朝時代には益田氏や三隅氏ら在地領主同士で抗争が繰り返されたが、1364年(貞治(じょうじ)3)に大内弘世(ひろよ)が守護となり平定した。戦国時代石見銀山が開発されると、大内氏尼子(あまこ)氏毛利氏が争奪戦を繰り広げた。江戸時代に銀山は幕府直轄となり、ほかに浜田藩津和野藩がおかれ、幕末に至った。1871年(明治4)の廃藩置県により、石見一円は浜田(はまだ)県となり、1876年(明治9)に島根県に編入された。◇石州(せきしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

いわみのくに【石見国】

山陰道の最西端に位置し,現在の島根県西半部にあたる。石州ともいう。
【古代】
 《国造本紀》に石見国造をおいたと伝えるが,国司が管する石見国は大化改新後まもなく設置,《日本書紀》斉明3年(657)条に初見する。安濃(あの)・邇摩(にま)・那賀(なか)・邑知(おうち)・美濃(みの)の5郡で構成され,843年(承和10)美濃郡から鹿足(かのあし)郡が分立して6郡となった。国府の所在地は那賀郡(現,浜田市下府町御門付近),等級は中国で遠国。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石見国
いわみのくに

島根県の西半部にあたる旧国名。日本海中国山地に挟まれた狭長な地形。石見の語源が石海(いわうみ)あるいは石満(いわみ)であるといわれるように、大部分が山地で、江の川(ごうのかわ)、高津(たかつ)川など数条の河川が日本海に注いでいるが、沖積平野は発達していない。
 大化改新後、安濃(あの)、邇摩(にま)、那賀(なか)、邑知(おおち)、美濃(みの)の5郡が置かれたが、843年(承和10)美濃郡から鹿足(かのあし)郡が分立した。国府の所在地については浜田市周辺説が強いが、現在のところ確認されていない。8世紀初め、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が石見掾(じょう)として赴任したといわれる。石見の豪族益田(ますだ)(御神本(みかもと))氏は、平安末期、国衙官人(こくがかんじん)として下向、土着したもので、益田荘(しょう)(益田市東部、浜田市南部)を中心に、主として石見中西部に勢力を扶植した。
 1193年(建久4)佐々木定綱(さだつな)が初代石見守護に補任(ぶにん)されたが、以後の鎌倉期守護は明らかでない。南北朝期には益田氏など在地領主の間で複雑な抗争が繰り返されたが、1364年(正平19・貞治3)大内弘世(おおうちひろよ)が守護となるに及んで平定に向かった。大内氏は応永(おうえい)の乱(1399)で守護職を失い、山名(やまな)氏が入部するが、応仁(おうにん)の乱(1467~77)後はふたたび大内氏に還補(げんぽ)された。戦国時代に本格的開発が行われた石見銀山(大田(おおだ)市)は、大内、尼子(あまご)、毛利(もうり)、小笠原(おがさわら)ら諸豪の争奪の的となるが、のち徳川幕府の直轄地となり、17世紀前半最盛期を迎えた。江戸時代の石見は、銀山領、浜田藩、津和野(つわの)藩に三分されたが、近世初頭、銀山領を中心とする石見東部に、浄土真宗が伝播(でんぱ)し、石見門徒とよばれる強固な地盤を形成したことは注目される。1866年(慶応2)長州再征のとき、親藩浜田藩は長州軍の攻撃を受け、藩主は逃亡、城は炎上した。一方、津和野藩は長州に好誼(こうぎ)を通じたので、明治新政府のもとで活躍する人材が輩出した。
 1869年(明治2)銀山領、浜田藩は隠岐(おき)県とともに大森県となったが、翌年浜田県と改称。1871年には津和野藩が編入され、まもなく隠岐が移管されて石見一円が浜田県となった。1876年に浜田県は島根県に編入された。[藤岡大拙]

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