20世紀日本人名事典 「岡村輝彦」の解説 岡村 輝彦オカムラ テルヒコ 明治・大正期の商法学者 中央大学学長。 生年安政2年12月(1856年) 没年大正5(1916)年2月1日 出生地丹後国舞鶴(京都府) 学歴〔年〕開成学校卒 学位〔年〕法学博士〔明治21年〕 経歴舞鶴藩の藩校で漢学・英語を修め、明治3年貢進生として大学南校に入り、次いで開成学校に転じ法学を修めた。9年英国・キングスカレッジに留学、13年ロンドン法学院の試験に合格、上級裁判所所員となった。14年帰国、司法省民事局に入り、16年大審院判事、次いで横浜始審裁判所長。23年以来東大法学部、東京法学院(現・中央大学)、明治法律学校(現・明治大学)で法律を講じた。退職後弁護士を開業。のち中央大学学長となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡村輝彦」の解説 岡村輝彦 おかむら-てるひこ 1856*-1916 明治-大正時代の法学者。安政2年12月生まれ。明治9年イギリスに留学し,資格をえて上級裁判所所員となる。商法,海上法が専門で,帰国後,大審院判事,横浜始審裁判所長などを歴任。のち弁護士を開業。中央大学長もつとめた。大正5年2月1日死去。62歳。京都出身。開成学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by